甘納豆を好んだ若山牧水 旅にある生涯『みなかみ紀行』  

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甘納豆を好んだ若山牧水 旅にある生涯『みなかみ紀行』

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昨日12日の朝日歌壇の最後の投稿歌に「海の旅山の旅せしかの酒仙甘納豆をも好みしという」というものがあった。

さては、若山牧水か。甘納豆が好きだったとは初耳だとも思いながらさっそく調べてみたが、どうもネット上にはそれらしいものは見つからなかった。

唯一関連を挙げるとすれば、牧水が四萬温泉に行ったときに、老舗という旅館に泊ったのだが、その旅館特製の花豆の甘納豆というのがあるという。

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牧水の「みなかみ紀行」

今でも部屋に通された後、お茶と一緒にそれが出てくるというので、さては牧水はそれが気に入ったのかと思いきや、その逆で、牧水が「みなかみ紀行」の中で、名指しで不満を述べているのがこの旅館だったのだという。

通された部屋が粗末であって、追加注文した料理にその場で代金を請求されたというのが理由らしく、ただ、その地方では仕出しについては他所から頼むもので別料金のため仕方のない習慣だったらしいのだが、一筆残してもらっておけば、旅館にもさぞや箔がついたと思うと残念な話ではある。そもそも若山牧水だとは知らなかったのだろうか。

若山牧水の有名な歌はこちらから

若山牧水の代表作短歌10首

 

旅にある生涯

冒頭の歌「海の旅山の旅」とあるように、牧水は人生の5分の1の期間を旅に過ごしていたというが、たまたま、朝日歌壇と同日の天声人語に、牧水の歌が載っていた。

今、平昌五輪で湧いている朝鮮半島への旅で、名峰と言われる金剛山を訪れた際のもの。

わが立てる峰も向かひの山々も並びきほひて天かけるごとし

これも旅の途中に短歌を記して揮毫料を稼ごうという目的であったらしいが、金剛山の眺めには感嘆したのだという。

 

海と山の間に

牧水の歌といえば、やはり何といっても、

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 

意味はそれぞれ

「いくつの山と川を越えてゆけば寂しさの消える国にたどりつくのでしょうか。その地を求めて今日も旅に行くのです」
「白鳥は悲しくはないのでしょうか。空の青にも海の色にも染まらずに漂っていて」

けふもまたこころの鉦を打ち鳴らし打ち鳴らしつつあくがれて行く

牧水を旅に駆り立てるものは、心の中の「あくがれ」。それを牧水のキーワードにあげる人もいる

生涯の5分の1は旅に出ていたというが、こういう歌はやはり実際に旅に出ていないと詠めないものだとも思う。
家にいるのとは違って、見ている景色が違うし、スケールが大きい。

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

恋人との接吻の場面にしても、

山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君

にしても、視界が広い。

もっと古い時代ならば海山よりもむしろ、「天地」(あめつち)という表現もあった
牧水の歌を見ると、天と地、そして、山と海の間に人が生きていることを思わせる。

甘納豆の俳句と言えば

さて、話を小さく愛らしいもの、すなわち冒頭の甘納豆に戻そう。
ネットの「甘納豆」で出てくるのは、決まって、坪内稔典の

三月の甘納豆のうふふふふ

というのもの。この、甘納豆はなんと12か月のシリーズものの中の一首。
意味? これはこのまま味わうのがいいと思う。

ついでに言うと甘納豆は季語ではないのでしょうね。なので、わざわざ「三月の」となっているのだけれども、上のように詠まれると、なんだが3月こそが甘納豆に最もふさわしい季節のような気がしてくる。

真冬でも駄目、真夏でも駄目、春たけなわの日でも駄目で、やはり早春がもっともふさわしい。

明日はバレンタインなのだけれども、それも季語ともいえるのだろうか。

チョコレートそれ自体には季節感があるようなないような、なんとも微妙なところだが。




-若山牧水

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