五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾む君の声 作者小野茂樹の教科書、教材に取り上げられる短歌の代表作の意味、文法や表現技法について解説、鑑賞します。
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五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾む君の声の解説
読み:ごせんしに のりそうだなと きいている とおいでんわに はずむきみのこえ
作者と出典
作者:小野茂樹 おの しげき
出典:歌集『羊雲離散』
関連記事:
あの夏のかぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ 小野茂樹
現代語訳
五線紙に載りそうだなと思いながら聞いている遠い電話の向こうに弾んで聞こえる君の声だよ
語と文法の解説
語と文法の解説です
「聞いてゐる」
- 「聞いてゐる」「ゐる」は補助動詞「ずっと…ている。…しつづける。」の意味
- 「ゐる」の基本形・・・「ゐる」
- 読み・・・「いる」
- 活用・・・自動詞ワ行上一段活用
句切れと表現技法
- 3句切れ
- 歴史的仮名遣い
- 体言止め
- 字余り
解説と鑑賞
文語の定型の短歌で、「聞いてゐる」の「ゐ」の部分に歴史的仮名遣いが使われている。
注:歴史的仮名遣いとは漢字音の古い発音や音韻を表記するためにつくられた仮名遣いのこと。「聞いてゐる」
歌の情景
作者はおそらく恋人である相手と電話で話している場面です。
「五線紙にのりさうだ」というのは、相手の声を五線紙の上に記譜した音符になぞらえるという意味です。
人の声には音の高さと抑揚があり、作者はそれを音楽のメロディーのように感じたのでしょう。
「聞いてゐる」
「聞いてゐる」の「ゐる」は、声が一定時間続いていることを表します。
作者はまるで音楽を聴くように耳を傾けている様子が伝わります。
「遠い電話に」
「遠い電話」は実際に、相手の住んでいるところが遠いという意味、あるいはよく言う「電話が遠い」状態、すなわち声が小さく感じられたということが考えられます。
もう一つ、作者は最初は普通に会話をしていたのでしょうが、そのうち意味よりも、彼女の声そのもの、さらに声の音としての側面に意識がうつっていきます。
言語学でいう音声にはシニフィエとシニフィアンの2つの側面があり、「シニフィエ」は意味、「シニフィアン」は「音」であるところの、その意味よりも音が勝っているというとらえ方です。
声を音符になぞらえるということは、言葉の音そのものに注意が向いているという状態です。
なぜそうなるのかというと、おそらく離れ住んでいる恋人との電話は、ひんぱんであり、二人は用事を話しているわけではありません。
毎日のように話しているため、話の内容もないのです。
電話をしている、電話がつながっているということの方が大切なのです。
なので、話の内容はたわいのないことである、それだからそれが五線紙に載るメロディーの陽だと作者は感じたので粗油。
なお、言葉の「シニフィエ」(意味)と「シニフィアン」(音)のとらえ方は、短歌でも同じことで、意味と同じくらい、あるいはそれ以上、調べが大切とされています。
これは短歌だけでなく、詩歌一般の特徴でもあります。
「弾む君の声」
結句は字余りとなっています。
そのため定型の音楽性は損なわれますが、「弾む」ために五線紙にも収まりがたいような相手の声の自由性が感じ取れます。
短歌の背景の推測
小野茂樹はかつて恋人だった女性と、両方が別々の相手と結婚した後に再会、それぞれが離婚後に再婚したという経緯があります。
この歌が関連があるのかどうかはわかりませんが、この歌には、恋愛の歌であるにもかかわらず、「遠い」に表されるどこか虚無的な感じがあります。
ちなみに恋人の電話であれば「遠い電話」という感じ方はしませんし、愛しく思う相手の声が音の抑揚に思えるということもないでしょう。
※小野茂樹の代表作の背景の解説
あの夏のかぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ 小野茂樹
小野茂樹の他の短歌
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
わが肩に頬をうづむるひとあれば肩は木々濃き峠のごとし
くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ
五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声
グランドの遠景ながら少年と少女の肌のひかり異る
小野茂樹のプロフィール
小野茂樹(1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。「地中海」に参加。角川書店・河出書房新社で編集者として勤務。
1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。タクシーで帰宅途中に事故死。