たんぽぽや日はいつまでも大空に【意味の解説】  

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たんぽぽや日はいつまでも大空に【意味の解説】

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たんぽぽや日はいつまでも大空に

中村汀女の教科書掲載の俳句の切れ字や全体の意味、主題と作者の思いについて解説します。

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「たんぽぽや日はいつまでも大空に」の解説

 

読み:たんぽぽや ひはいつまでも おおぞらに

  • この俳句の主題・・・春の季節のもたらす幸福感
  • この俳句のポイント・・・「いつまでも」の理解

作者と出典:

中村汀女 なかむらていじょ

現代語訳

地にはたんポポが咲いて、空には春の太陽がいつまでもとどまっているように思える春の日であるよ

切れ字

切れ字「や」間投助詞

季語

季語は「たんぽぽ」 春の季語

形式

有季定型

俳句の解説

作者中村汀女は女性の俳人。この句は春のたんぽぽを詠んだ代表作の一つ。

省略があるため、それらを補うと句の描き出す作者のとらえた世界が感じ取れます。

空間の広さ

初句のたんぽぽは地面に咲くものです。

結句の大空は、地面とは対極の視界のいちばん高いところにあります。

「たんぽぽや」で始まって、天地の間にいる人である作者は、最終的に空を見上げていることがわかります。

「天と地」というのは世界全体です。

そのために「たんぽぽ」「日」「大空」が取り入れられています。

空間と時間の両方

その空間にあって作者が感じたことが、「たんぽぽや」の「や」の込められた部分、そして「日はいつまでも」ということです。

「いつまでも」というのは「天地」の空間ではなくて、時間に対する表現です。

つまり、この句には空間と時間の両方が盛り込まれていることになります。

作者の思い

「日はいつまでも」はこの句のポイントであり、作者の感慨を表す部分です。

「いつまでも」は他の訳では「日が長くなった」とされているものが多いのですが、「たんぽぽ」「日」「大空」と時間と空間がすべて詠まれている句なので、「いつまでも」にはそれだけでなくもっと特別な感慨があります。

作者が感動したのは、春の季節の美しさとそれがもたらす幸福感であったでしょう。

風のあたたかさ、春の外気のこころよさ、緑の美しさ、空の青さ――春という季節の美しさのすべてが、太陽のもたらす日差しに、そして「いつまでも」と永続性を作者に思わせるような感慨があったのではないかと思われます。

俳句の鑑賞

俳句の構成を見ながらもう少し鑑賞を深めていきましょう。

動詞がない

この俳句の構成上の特徴は、動詞がないという点です。

「いつまでも」は副詞なので動詞にかかるものなので、本来なら「いつまでも…ある」のように「ある」に当たる動詞があって文として完結しますが動詞がありません。

動詞がないということは文として完結していないということです。

つまり、「私は今日本屋に行きました」の「行きました」の部分がないことになります。

これでは、今日本屋に行ったのか、本屋に電話したのか、本屋に贈り物をしたのか、何なのかわからないことになります。

逆に言うと、俳句は散文ではなくて詩歌なので、文として完結しなくてもかまわないのですが、ここには作者の意図があると考えられます。

この俳句の主題

そこから考えられる作者の意図は、作者が従来の意味での何かを伝えようとしたのではないことです。

絵画であれば、絵の中にたんぽぽと太陽と空が描かれる。

起承転結や結末はありません。それでも絵として成り立ちます。

この俳句もそれと同じです。

「たんぽぽや」の「や」の意味

立ち返って、初句をもう一度見てみましょう。

「たんぽぽや」の「や」の意味は、詠嘆を表す間投助詞です。

あえて、現代語に訳すと「たんぽぽだ」というような訳になり、たんぽぽを見たことに感嘆していることになります。

作者の視点の推移と気持ち

おそらく作者がこの春初めて見たたんぽぽであったかもしれません。

そして春の到来の予感を胸に日の光の降る空の方に視線を向けますが、この一瞬の間には「春」はまだ確信されていないのかもしれません。

あたかも、たんぽぽの花が日の光の方を向いて咲くように、作者も同じ方向を向いてはじめて、「ああ、やはり日差しの感じが違う、春なんだなあ」という思いを強めるのです。

冬とは違う春の太陽の日差しの強さ、ゆるぎなさ、これがこれからも続くだろう安心感が、「いつまでも」に込められていると考えられます。

上にのべたように、動詞を欠いた「いつまでも」には大きな意味はなく、あえて言うのなら、「春になったんだ。これが、この後もずっと続くんだ」というのが、「いつまでも」の意味です。

「いつまでも」の意味のなさ

そもそも「いつまでも」と言ったところで、太陽は移ろうものであり、もちろん一日中日ざしがあるわけでも、一年を通して春が続くわけでもないのです。

しかし、人が強い感慨を持つとき、それが事実でなくても「いつまでも」という言葉を使いたくなる。

それが人と言葉の相関です。

言葉というのはけっして正確なものではないのですが、それこそが詩歌の言葉であり、詩的真実はむしろこのような言葉にこそあるのです。

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作者中村汀女について

中村汀女(なかむらていじょ)[1900~1988]俳人。熊本の生まれ。本名、破魔子。「ホトトギス」同人として活躍。「風花」を創刊。句集「春雪」「汀女句集」など。 出典:中村汀女(なかむらていじょ)の解説 - goo人名事典

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