金子兜太さんの俳句代表作品 戦後・現代俳句の旗手として革新  

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金子兜太さんの俳句代表作品 戦後・現代俳句の旗手として革新

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朝日俳壇の選者、金子兜太(かねことうた)さんは98歳で逝去されました。

この記事では、金子兜太さんの代表作の俳句について記します。

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金子兜太さん経歴

金子さんは1919年、埼玉県生まれ。秩父が故郷でした。

水戸市の旧制高校在学中に俳句を開始。水戸市内には金子さんの句碑があります。

東京帝国大学経済学部卒業後、日本銀行に入行直後に海軍に入隊。

戦争を経験後、社会性の強い「現代俳句」の旗手として活躍しました。

87年から「朝日俳壇」選者、現代俳句協会名誉会長をつとめられました。

金子兜太さんの句碑

水戸市の保和苑にあります。

 

保和苑の場所

所在地:水戸市松本町13-19

 

金子兜太の代表的な俳句

金子兜太さんの代表的な俳句をご紹介します。

銀行員ら朝より螢光(けいこう)す烏賊(いか)のごとく

日本銀行勤務時代に詠んだ代表作。

朝銀行のデスクに着くと、皆が机の電灯を点す、その様を詠んだもの。

 

白梅や老子無心の旅に住む

元々は俳句を詠んでいたお父さんの影響で句作を始められたそうです。

旧制水戸高校の時、梅を入れて詠んだ句。



水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

その後、戦争に行き、戦地の南洋トラック島で上官の勧めにより、句会をしたのだとか。

上は復員船で詠んだ句。

 

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

親類に聞いた自分自身の出産の場面。

面白い句のようですが、お弟子さんが講演でこの句を挙げたりすると、みんな涙を流すといいます。

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

彎曲し火傷し爆心地のマラソン

長谷川櫂の解説によると、

「兜太は自分を「存在者」と定義し直した。人間は戦争で犬死にしたりせず、何もしなくても生き永らえるだけで尊いという考え方である」-長谷川櫂

高齢者のアイドル的存在でもあり、俳句革新のカリスマ、そして反骨心と気取らない優しさの方でもあったそうです。

ご長男の真土さんは、看取りの時に

「この年まで現役で俳句を詠みつづけ、よく頑張りましたね」

と声をかけて頭をなでて差し上げたといいます。

ご冥福をお祈りします。




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