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金子兜太さんを悼む 戦後俳句・現代俳句の旗手として俳句革新

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朝日俳壇の選者、金子兜太(かねことうた)さん、しばらく選句をお休みされていましたが、20日に98歳で逝去されました。

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経歴

1919年、埼玉県生まれ。旧制高校在学中に俳句を開始。東京帝国大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。直後に海軍入隊。社会性の強い「現代俳句」の旗手として活躍。87年から「朝日俳壇」選者。現代俳句協会名誉会長。

作品

銀行員ら朝より螢光(けいこう)す烏賊(いか)のごとく

日本銀行勤務時代に詠んだ代表作。
朝銀行のデスクに着くと、皆が机の電灯を点す、その様を詠んだもの。

白梅や老子無心の旅に住む

元々は俳句を詠んでいたお父さんの影響で句作を始められたそうです。
旧制水戸高校の時、梅を入れて詠んだ句。



水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

その後、戦争に行き、戦地の南洋トラック島で上官の勧めにより、句会をしたのだとか。
上は復員船で詠んだ句。

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

親類に聞いた自分自身の出産の場面。
面白い句のようですが、お弟子さんが講演でこの句を挙げたりすると、みんな涙を流すといいます。

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

彎曲し火傷し爆心地のマラソン

「兜太は自分を「存在者」と定義し直した。人間は戦争で犬死にしたりせず、何もしなくても生き永らえるだけで尊いという考え方である」--長谷川櫂

高齢者のアイドル的存在でもあり、俳句革新のカリスマ、そして反骨心と気取らない優しさの方でもあったそうです。

ご長男の真土さんは、看取りの時に「この年まで現役で俳句を詠みつづけ、よく頑張りましたね」と声をかけて頭をなでて差し上げたといいます。
ご冥福をお祈りします。

朝日新聞 2月25日の声欄より

新聞の投書欄より追記します。

金子兜太さん、まなざしの温かさ

 俳人の金子兜太(とうた)さんが亡くなりました。朝日俳壇の紙面からお名前が消え、さびしい思いをしていた矢先でした。
 金子兜太さんには、朝日俳壇で選んでいただいたことがあります。それまで短歌には興味があったものの、俳句は17文字で気持ちを表現するのが難しいと思いこみ、作ったことはありませんでした。
 突然夫が倒れ、病床にあった5年前、いつも2人で歩いていた散歩道を1人で歩いていたら、その時の気持ちがふと五七五になって浮かびました。家に戻り、忘れないうちにとはがきにしたため、すぐポストへ投函(とうかん)しました。その句を思いもかけず選んでいただき、本当に驚きました。
 新緑や意識不明の夫(つま)がおり
 平凡な言葉でなんのてらいもなく作った一句でした。
 評に書いていただいたことは忘れられません。「『夫がおり』とは気の張った言い切りで、自分を励ましているのだ」。たった17文字から、こんなにも作り手の心を深読みしてくださるとは。死去を伝える記事にあった「不器用でも率直に生きようとする人間へのあたたかなまなざし」そのものであったと思います。ご冥福をお祈りいたします。


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