虫武一俊さんの短歌が『平成万葉集』、新聞コラムでも取り上げられました。
「生きづらさ」という現代特有の意識を詠んだ虫武さんの短歌を紹介します。
なお、無料で読める虫武さんの歌集『羽虫群』新鋭短歌シリーズ、も合わせてご案内します。
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虫武一俊の短歌 「生きづらさ」
螺旋階段ひとりだけ逆方向に駆け下りていくあやまりながら 虫武一俊
虫武一俊さんの短歌は、「生きづらさ」を詠んだものとしてこれまでも取り上げられてきています。
虫武さんは、30歳まで社会経験なく生活されていました。
様々な葛藤があったに違いなく、その折々の気持ちを詠んでおられたものが、膨大な数に上るそうです。
この格差社会の底の草原にわれはこそこそ草を食う鹿
くれないの京阪特急過ぎゆきてなんにもしたいことがないんだ
眼を閉じて屋根の向うの星叩くこの世は永遠の暇潰し
三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息
個の問題でありながら、若者の孤独、社会との接点、就職の困難など、いずれも現代特有の問題につながりがあり、多くの人に支持されています。
思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向いにすわる
「待たせたな」もうすぐカッコつけながら来るはずおれのなかの勇気は
現在は、短歌で自己表現の術を得て、短歌の仲間を得ます。
そこでの出会いが歌われる歌は、若々しく微笑ましい作品です。「生き方が洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている」と歌っていた虫武さんは、次のような歌を詠みます。
生きていくことをあなたに見せるときちょうど花びらでもふればいい
やがてその短歌の仲間と結婚。
控え目な読み方ながら、新しい決意が詠まれる歌は、「花」の象徴する美しいものに彩られています。
虫武一俊 歌集「羽虫群」
現在は虫武一俊さんの第一歌集「羽虫群」が刊行されています。
その後書きでは、虫武さんは、それまでの在り方を振り返って、下のように述べておられます。
自分は何者にもなれないということにようやく気がついたとき、20代も半ばをとうに過ぎて、広野に立ち尽くしているような心地だった。自分なりに積み上げてきたと思っていたものは、そもそも最初から実態がなく、文字通り何も手にしていないところから、人より遅い始動をしなくてはいけなかった。
また短歌とのかかわりについては
インターネットを通じたり実際に顔を突き合わせたりしながら、数々の歌会や批評会に参加することになるのだから、人と関わっていけるようになることにおいて短歌が果たしてくれた役割は大きかった。
以前、ツイッターで「歌会がこわい」というトピックが話題となりましたが、虫武さんは自ら歌会や批評会にも参加されるというのですから、とても活動的に見えます。
虫武さんにとって、短歌が役に立ってよかったとつくづく思わされますね。
なかなか歌を読んでいても、自分の心情を素直に表せるばかりではないのですが、その点での自分にとっての短歌についても
短歌においてはその「何も持っていなさ」が武器になることがあると思っている。世間一般では真っ先に排除される「弱み」が、短歌という枠組みを与えられることで、別の側面からの価値観を見せることができる。
と書かれています。
むしろ「何も持っていなさ」が作者を短歌の方にグッと押し出す力を持ってくれたのです。