平将門は平安時代の武将、3月25日はその命日です。
きょうの日めくり短歌は、平将門の忌日にちなみ、将門の和歌として伝わっている歌をご紹介します。
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平将門とは
平将門はは平安前期または中期の武将です。
平氏一族の抗争から、東国を支配、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称、調停に対抗するまでの権力を得るまでになりました。
しかし即位後2か月で討伐され、3月25日が平将門の忌日となります。
平将門の和歌
平将門の和歌として伝わっているものは下の二首があります。
一つは
よそにても風の便りに吾そ 問ふ枝離れたる花の宿りを
読み:よそにても かぜのたよりに われぞとう えだはなれたる はなのやどりを
歌の意味
離れていても風の便りに私は尋ねるのです。枝を離れてしまった花の行方を
解説
この歌には平将門の人となりを伝える重要なエピソードがあります。
平貞盛の一派と戦いになったとき、貞盛の妻他が捕らえられ、平将門が会った折のことです。
将門は、自分の妻子も戦いで殺されていたのですが、「女性の流浪者は、その本籍地に身柄を帰す」という法令をあげ、着物をはがれて裸でいた敵の妻に、身を包む着物に上の歌を添えて与えたといいます。
つまり、「花」というのは、貞盛の妻のことで、「あなたの行方を気にかけ、案じていますよ」というメッセージであったのでしょう。
『将門記』に記されたこのエピソードを元に、平将門の碑文には、この和歌が記されています。
もちろん、これは伝説かもしれませんが、少なくとも平将門の人となりを伝えるものとなっています。
桔梗塚の和歌
花もなくしげれる草の桔梗こそいつの時世(ときよ)に花の咲くらむ
もう一首は千葉県佐倉市将門町のその名も将門町にある、平将門の妻「桔梗」を偲んだ「桔梗塚」に刻まれた一首。
将門の妻桔梗をしのぶものです。
意味は、
桔梗が花を咲かせることもなく、草が生い茂っているこの地には、いつの世になれば花が咲くのだろうか
作者は、将門本人ではないのでしょうが、還らぬ人を思う歌となっています。
この地が将門町と呼ばれる所以は、佐倉はそもそも、将門の父・良将の本拠地であったからだそうです。
桔梗塚の場所
〒285-0042 千葉県佐倉市将門町
今日の日めくり短歌は、平将門の忌日にちなみ、平将門にまつわる和歌を2首ご紹介しました。
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