空を飛ぶ夢の意味と失声という症状 「空は言語の場」新宮一成「夢分析」  

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空を飛ぶ夢の意味と失声という症状 「空は言語の場」新宮一成「夢分析」

2018年2月21日

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先日友だちの書いた小説を読ませてもらった。その最初の部分に主人公が「紙を一切れ空から破る」というところがあった。詩を書くための紙だった。

つまり彼が空から破りとったもの、それは「ことば」であった。

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空を飛ぶ夢の意味

夢には空を飛ぶ夢はしばしば見られる。「空は言語の場」だという解釈もある。
精神分析家 新宮一成氏はいう。

 

言葉を話せるようになるということは、自分を自分の外から見て、自分が何かを言えることであり、自分に向かって言語を用いて、自分を人間として認めることである。

失声という「症状」

しばらく前の新聞に「声をたずねて、君に」というタイトルの連載小説があった。
ラジオのディスクジョッキーをしていた主人公が、失声という「症状」にみまわれる。

彼は、子どものとき、父親に「お前は誰だ」と問われた記憶を思い返している。今の彼は、それに応えるべき言葉、声を持たない。

夢の「空」は、このような過程(すなわち、言語を獲得し、自分が何かを発するようになるまでの)に必要とされる純粋な「外側」として、我々に与えられているのである。

 

シャガールの絵には、空をただよう新婚のカップルがしばしば描かれる。新しい言語活動を獲得した彼らの性は、そうした言語活動以前の仲間たち、すなわち牛や山羊を引き連れて、自由に舞っている。―― 新宮一成「夢分析」

空は言語活動の場であるとする。すべての夢がそうだというわけではないにしろ、空が夢に意識されるときは、新しい言語活動の示唆でもある。

私たちは、普通必ずしも、自分の話していることばが乖離していると感じるわけではない。逆にそう感じるときは、転換の局面にあることも多い。

言葉が人との社会的な疎通においてこそ意味があるのは言うまでもない。「私が誰であるか」とは、他者との相対性の中で流動する答えを待っている常なる問いなのだ。




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