新春詠、新年に詠む短歌を石川啄木の歌集『悲しき玩具』からご紹介します。
様々な歌人が年の初めに詠む短歌、新春詠、石川啄木にはどのようなものがあるでしょうか。
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新春詠とは
四季折々の事物が詠み込まれる短歌には、新しい年となったところで、心新たに歌が詠まれる習慣があります。
「新春詠」といわれるもので、どの歌人も必ず年頭に詠んでいます。
石川啄木の第二歌集『悲しき玩具』にも、新年詠、新春詠が、まとまった数で見られますので、ご一緒に読んでみましょう。
石川啄木新春詠『悲しき玩具』より
年明けてゆるめる心! うつとりと 来し方をすべて忘れしごとし。
昨日まで朝から晩まで張りつめし あのこころもち 忘れじと思へど。
石川啄木の年明けの心境です。
「来し方」(こしかた) というのは、それまでの過去のこと。
一方、「行く方」が未来を表す対語です。
作者啄木のこれまでの不本意な生活のことも、年が明けると、何もかも忘れてしまったようにすがすがしい気分になるということなのでしょう。
大晦日
ぢりぢりと、蝋燭の灯のもえつくるごとく、夜となりたる大晦日かな。
青塗(あをぬり)の瀬戸の火鉢によりかかり、眼閉じ、眼を開け、時を惜しめり。
大晦日という時の区切りが感覚的に詠まれています。
何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る
過ぎゆける一年のつかれ出しものか。元日といふに、うとうと眠し。
それとなく その由(よ)るところ悲しまる、元日の午後の眠たき心。
それにしても、「よき事あるごとく/思ふ心を/叱りて眠る」というのは、楽観的になるのを戒めるというのでしょうか、いくらか不思議な文句です。
石川啄木の正月の描写
戸の面(も)には羽子(はね)突く音す。 笑ふ声す。 去年の正月にかへれるごとし。
羽根つきというのは、古くからある、日本の正月の遊びですが、この頃ではめったに見かけないかもしれません。
羽子板という板で、羽のついたムクロジの種子、要は固い木の実の種を打つので、カーンというような音がします。
その音と子どもの声が聞こえると、去年と今が重なって、時が折りたたまれるような不思議な感覚を詠んでいます。
石川啄木の新年
何となく、今年はよい事あるごとし。 元旦の朝、晴れて風無し。
腹の底より欠伸もよほし ながながと欠伸してみぬ、今年の正月
友よりの年賀状
いつの年も、似たよな歌を二つ三つ 年賀の文に書いてよこす友。
正月の四日になりて あの人の 年に一度の葉書も来にけり。
年始の歌というのは、挨拶の短歌ですので、特色がなくなっても仕方がない面がありますが。
それ以上に、現代では年賀状も稀な習慣になりつつあります。
石川啄木の新年の歌の締めくくりはというと
いろいろの人の思はく はかりかねて、今年もおとなしく暮らしたるかな。
おれが若しこの新聞の主筆ならば、やらむ--と思ひし いろいろの事!
破天荒な石川啄木なのですが、これらの歌を詠むと、新聞社という場所に案外馴染んで勤めていたらしい様子もうかがえて、ほほえましいところがあります。
『悲しき玩具』出版前
この歌集『悲しき玩具』は、啄木が亡くなる4,5日前にノートに書いてあった二百首をそのままの形で渡して出版となったものです。
啄木は床に寝たままであり、土岐哀果の急な来訪時の伝達に、推敲なしで、歌の数だけを節子夫人に確認して、ノートのまま土岐が受け取ったことをあとがきに語っています。
タイトルを決められる余裕もなかったため、ノートを託された土岐が、その中の文章に「歌は私の悲しい玩具である」というところから、『悲しき玩具』と命名されました。
石川啄木の新春詠を読んで
一握の砂に比べると、悲しき玩具においては、句読点が使われており、一層自由な、啄木の肉声を伝えるような作品が多くなります。
新年詠と言っても型にはまったものではなく、啄木の生活に根差した心境が詠まれているものが多く興味深いですね。
皆様もぜひ自由な新春詠を作って、各年の記念に残してみてくださいね。