春の花を詠み込んだ短歌は、たくさんありますが、現代短歌ではどうでしょうか。
今日は、春の花を詠み込んだ現代短歌をご紹介します。
花と緑のきれいな季節にぜひ読んでおきたい歌の数々です。
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春の花の短歌
作者:寺山修司
伴侶を迎えて家具が家に増えていく。君の歌う歌も新しい生活に加えられていく。早春に咲くクロッカスならではの初々しいイメージです.
菜種咲く外のあかるさ窓を占めひととき暗しわがゆくバスは
作者:春畑茜
最も最初に思い浮かべるものは菜の花かもしれません。花というよりも、日本の春の田園風景と共にあるもの。
この歌では、菜の花の明るさと、作者のいるバスの中との明暗が対照されていて、それが作者の心境をうかがわせるものとなっています。
えにしだは黄の花をどる枝垂れてゆききのわれの愁ひを知らず
その枝に花あふれ咲く雪柳日々来るわれは花をまぶしむ
作者:佐藤佐太郎
1首目『帰潮』は40歳代、後の2首は『星宿』(せいしゅく)佐太郎70歳代の作品。
辛夷は木に咲く花なので、高いところに花があるのでしょう。未だ緑のない時期に咲く白い花は、作者にとって「はるかなる哀しさ」の輝きであるようです。
えにしだは、愁いとは無縁の風情の黄色の花。
雪柳は、これも早春の真白の花です。
雨の日のさくらはうすきはなびらを傘に置き地に置き記憶にも置く
作者:尾崎左永子
佐太郎に師事された方。春のはやての吹く夜の中に、作者は白い辛夷のつぼみがふくらむだろうと思いを馳せています。
桜の花は、雨に濡れると風にさらわれずに物につきます。つぶさに見える桜の花びらが、そのように記憶にもとどまる。「置き…置き」の反復では、そこかしこにある花びらが見えるようです。
細枝まで花の重さを怺(こら)へゐる春のあはれを桜と呼ばむ
作者:稲葉京子
「抱かれて」はこの場合は、生まれて後のことでしょうか。作者は桜を「重さを怺える」ものととらえています。「細枝まで」(ほそえまで)で、女性的なイメージのある擬人法でもあります。
葉のみ濃き若木のさくら重おもとしろき老木のさくら照りあふ
作者:石川不二子
葉桜となってもうずいぶん経ったと思っていたのに、今なお白き花びらがこぼれてくる。「こぼす」の表現が即しています。冒頭の「葉桜」と対になるような「白き花びら」の体言止めも印象に残ります。
葉桜と、葉のない老木(おいき)の桜が対照的に並んで、両方の花がお互いを照らし合う。作者は農業に従事した方なので、植物への観照が行き届いておられるのでしょう。
花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずゑの重さはかりがたしも
作者:小中英之
1首目はこの作者の代表作と言っていいでしょう。「ぼあーんぼあーんと」の擬音が印象的です。
2首目の「花」とは、桜のことでしょう。
左手で文字書きてゐし教へ子を思ひ出さすよ黄のフリージア
作者:高野公彦
朝日歌壇の選者をされている高野先生の歌。
水場に真っ直ぐに立つあやめの群れの静けさ。それは作者を癒してくれるけれども、作者を受け入れてくれるようなものではない、その繊細な感慨が表現されています。
ああ、言われてみると、あやめはそういう花だったなあとも思い出します。
フリージアは早春の春の花。
片側に向かって花をつけるので、左利きの教え子が重なったという、「教え子」にふさわしい、かわいらしい花です。
知っている花があったら、短歌を詠まれる方は、ぜひ同じ植物に思いを重ね合わせながら、詠んでみてくださいね。