石川啄木「悲しき玩具」の伊藤左千夫の感想と『あづさの霜葉』に見る左千夫の短歌特徴  

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石川啄木「悲しき玩具」の伊藤左千夫の感想と『あづさの霜葉』に見る左千夫の短歌特徴

2018年2月4日

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伊藤左千夫に石川啄木の「悲しき玩具」の評をしたものがある。

これを読むと左千夫の啄木評のみならず、左千夫自身の短歌観も伝わってくるものがある。

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石川啄木「歌のいろいろ」

まず、石川啄木が、自分の短歌について書いたもの。

(中略)忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。仮に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、とにかく歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々の生命を愛惜する心を滿足させることができる。--「歌のいろいろ」石川啄木

 

伊藤左千夫は「悲しき玩具」について、「敬服に堪えない一事」「君が歌に対するその信念と要求とに良く一致している」と評価していたようだ。

しかし、上の文章の箇所の「忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する」というような意味で作られたものが「最善の歌とは思えない」と左千夫は言う。

 

「心に浮かんだ感じを、更に深く心に受け入れて、その感じから動いた心の揺ぎを、詞調の上に表現してほしいのである」--『日本の詩歌』より

歌を「心の叫び」と言った左千夫は、啄木のいうような日記まがいのものでは飽き足らなかったのである。

伊藤左千夫の短歌について詳しくは
伊藤左千夫短歌代表作30首 牛飼の歌 九十九里詠 ほろびの光

『あづさの霜葉』伊藤左千夫の歌の特徴

伊藤左千夫「あづさの霜葉」と題する一連の歌があるが、左千夫の代表作と考えられている。

詠まれたのは明治43年。伊藤左千夫は大正2年に亡くなっているので、晩年の作ということになる。

年譜には「十月松本に堀内卓の死を弔い、戸隠山に紅葉を見る。篠原志都児(しづこ)随う」と記載されている。

飯綱(いいづな)のすそ野を高み秋はれに空とほく見ゆ飛騨の雪山
ひさ方の天(あめ)の時雨に道いそぐおく山道をうらさびにけり
霜がれの天の高はら飯綱野(いいづなの)の山口のとに鳥居立ちたり
くさまくら戸隠山の冬枯れの山おくにして雨にこもれり
うす日さす梓(あづさ)の紅葉(もみぢ)しかすがに今かくるらむただよふ天雲(あまぐも)
おく山にいまだ残れる一むらのあづさの紅葉雲に匂へり
くぬぎ原くま笹の原見とほしの冬がれ道を山ふかく行く

語釈

ひさかたの・・・「天」にかかる枕詞
くさまくら・・・旅寝すること。旅先でのわびしい宿り
あずさ・・・は落葉樹のこと
うらさぶ・・・「心荒ぶ」。古くは心を「うら」といった。
しかすがに・・・そうはいうものの。そうではあるが。

左千夫の歌の特徴 合評より

「左千夫調ともいうべき、一首一首が力強く、大柄な、そしてひじょうに調子の整ったもの」(辻村直)

「作者の内部活動が根本をなしており、しかも声調の上に作者の主張するものと遺憾なく合致した感があって、一連傑作というべきであろう」(鹿児島寿蔵)

「この一連は九十九里の歌を思わせるような重い調子で貫いて、よく大自然の懐に出入りしておる如き、先生自らもおそらく会心の作であろう」(土屋文明)

この一連への評価はいずれも高いものであるが、総じてこれが伊藤左千夫の歌の特徴だろう。




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