アララギの歌人たち 未分類

五味保義の短歌

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五味 保義(ごみ やすよし、1901年 - 1982年)は、長野県の歌人、万葉学者。

旧制諏訪中学卒業。東京高等師範学校文科を出て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、日本女子大学の教授も勤めた。

初期の歌風は、赤彦の影響により自然詠が主体であったが、中期は文明の指導で現実に即した生活詠も作るようになった。晩年は病を得たこともあり、写実に加え人間味ある歌風の新境地に入った。

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大き艦(ふね)煙吐く見ゆ朝明(あさあけ)のしぐれにぬれし通りの果てに

町屋根の上にしぐるる山みればもみづる木々にはだれふりたり

疾風(はやちかぜ)とよもす篠原の中をゆく妻が眼鏡のひかるさみしさ
 
岬山の黄葉(もみじ)おとろえる頃となりて入海くらくけふも荒れたり

出でゆくと飯急ぎ食ふ弟を見れば立ち入りてもの言わざりき

外輪山の陰落ちし谷を下りつつ日すがらありし霜柱ふむ

水際に寄りにし水泡(みなわ)こほりたる山中の湖(うみ)暮れて見にけり

あわただしく過ぎゐる吾にかぎろいの夕べの逢いはたまゆらなりし

別れ来し路地に音たててふるみぞれ吾が穿(は)く古き靴に洩りつつ

塀のかげくらき坂をば上り来てわが家の桜夕日に映ゆる

潮みつる築岸(つききし)を並びてあゆみゆく吾もわが妻も包(つつみ)持ちたり

・「とよもす」響す 「篠原」篠竹の生えている原。ささはら)

裏山の枯色したし春雨はゆふべほどろに雪になりつつ

・「したし」親しい 「ほどろ」はだらに同じ 雪がはらはらと降るさま)

様々に泣けるみどり児小さきにわがあわれなるものも交じれり

冴えざえと山の日させる背戸畑に乳児抱(いだ)き来ればくさめせり

かぎりなく立つ白波に寒々と時雨ながらふる浜に来にけり

夕浪(ゆうなみ)に来つる千鳥の居るが見ゆ時雨ながらふる浜のたひらに

悲しみて立ち居る吾にすくなくぞ言ひたまひしが共に歩めり

網走の海こえて山の雪見ゆる汽車に眠りて眼をさましたり

国のはて根室港に来(きた)りけり海吹くかぜの秋づくらむか

知床の岬の山に固まりて残れる雪は海の上に見ゆ

白々(しらじら)と硫黄に曝(さ)れし石のあひだほとばしる湯をしばし見ていつ

ゆきめぐる町のいづくよりも見ゆるなる草山に白く風あたり居り

灯火のゆらぎかなしも幼子を抱きてなきがらにわが近づきぬ

わけゆけばもろくし折るる枯れ草の中にたまたま貝踏み砕く

暗くなりし木下(こした)にひろふ椎の実に樫の実まじる手にたまる見れば

峠よりあわれささやけき入江みゆ小土肥(をどひ)の村に白波寄りて

雲低くすぐるを見れば雪やみし風越山に月夜(つくよ)照りたる

神港(かんなと)の磯浪は高くかがやきて白く固まる家と倉庫と

きびしく海ゆそばだつ離れ島小島というに日は沈みつつ

黒潮の瀬に立つ沖をこゆる船そのたゆたひはつばらにぞ見し

・「つばら」詳ら 詳しいさま)

まぎれつつ飛べる千鳥かひかりなく波寄る磯の隅(くま)ぞ寂しき

見下ろせば夜の潮(うしほ)のたゆたひのただゆたかなる光なりけり

天つ日に貝がら光る草生(くさふ)ゆき立つかぎろひの中に息づく

狭(はざま)よりかっこうひびく日暮れ時父亡き家にけふはかへりぬ

いくつか残りし硯(すずり)とり撫でて今更に亡き父の恋しも

近よりて肩もむときに吾股(わがまた)入りて小さし母の身体は

亡がらを移して障子開け放つ奥の間に山の風は吹き入る

曲がりたる腰いまはのび長々と臥す母よとこしへに静かなる母

胡桃(くるみ)の実枝はなれ落つる音きこゆ母病み逝きし室に坐れば

うつせみのわが寂しさや柿の葉を吹きちらす野分(のわき)一人してきく

 *野分 秋から冬にかけて吹く暴風。のわけ。風越(かざこし)の山しぐれゆく寂しさを山の校舎のあひだより見し

夜の山見ゆる谷あひの天ひびきただ降りしきるこの寒(さむ)しぐれ

柿のおちば踏みて近づく最上川岸に寒々と濯(すす)ぐ人見ゆ

念(おも)ふにし堪えがたくして出でて来し最上川岸に風おらび吹く

焼け跡の土より雲母(きらふ)ふきちらす風はあかざにひびきつつ吹く

老いかがむ母を背負いひて歩みゆく温泉(いでゆ)に下るあつき石道

吾(わが)つまと二人住みたる跡見れば狭きにヒユ(原文漢字)のたかだかと立つ

吾ふたり逢ひたる夜(よは)を松風はとよもし吹ききその夜もすがら

くらやみに眼(まなこ)覚めゐる二人にて苦しきことを言ひいづるなり

しらじらと硝子戸とほる光あり夜(よ)をとほし坐りゐる妻が見ゆ

私にあらぬ希(ねが)ひを守り来しわが貧しさは妻が知るのみ

散り果てし桜に天を吹きつけて暗き一日(ひとひ)をただみだれ居り

竹煮草白々として靡(なび)く道試歩する妻と踏切を越ゆ

ほのぼのと紅ゆらぐばらの垣ようやく暗くわがふたりゆく

限りなくゆかむ吾等にあらなくに漂ふ如く萌(きざ)すあくがれ

病みあとの妻とこもれば草土手をみだし吹きゆく暑き雨見ゆ

近よりて肩もむときに吾股(わがまた)に入りて小さし母の身体は

ただ暗く川ゆき流れ風吹けばいづへにわれの悲しび止まむ

青笹の谷ささやかにきはまれるあたり恋しき明時(あかとき)の光(かげ)

息迫り妻が倒れしかの夜はわが子らすらを吾はたのみき

母の命救わむとして働きしよべの子ら思ふまぼろしの如

べにばなの過ぎなむとして土乾く庭すみにしてわが涙いづ

ふくまする氷くちびるにつつむさま見つつ取りとめむ命と思ひき

草原にたひらにつづく最上川の寒き川波に浮く鴨の群れ

川口にただよふ如く見ゆる州の先をめぐりて長き白波

夕かげとなりし病室にうつむきてわが爪を切る妻あはれなり

丘の上に清き夕月立つ見えて移り来し病室の明り久しき

わが一人向かうガラス戸のひろしくて時長し夕月の移りゆくまで

*「母の命」以下三首は、細君の大患時、最後三首は作者入院生活の折のもの







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