万葉集における「われ」とは「万葉の歌人と作品-人麻呂歌集の七夕歌」  

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万葉集における「われ」とは「万葉の歌人と作品-人麻呂歌集の七夕歌」

2018年2月3日

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和泉書店刊第二巻「万葉の歌人と作品」「柿本人麻呂」から、「人麻呂歌集の七夕歌」の章、著者品田悦一。
この項はおもしろい。特に、4「主体の性格」。

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万葉集の「作中の主体」

私の理解するところでは、叙述という作用を担う主体は「作中の『われ』」とは原理的に異質な存在である。後者は前者の客体化されたものであり、叙述の対象の一部であって、これを主体そのものと同一視するのは適切な扱いでない。(『万葉の歌人と作品』品田悦一)

 

そのあとは文学論とはやや離れるが、次の個所はたいそう興味深い。

 

では、主体とは作中の「話者」のことか。それも違うと思う。人が何事かを述べるとき、その叙述は常識的にはたしかに発話する当人、つまり話者に帰属すると見なされるが、言語は元々個人の専有物ではない以上、叙述が作用として成立するには種々の社会的契機の媒介が不可欠である。話者は自身の操る言葉をとおしてそうした契機と出会い、個人の資格を越えた何者かとしてふるまう。叙述の主体と呼ぶに値するのはこの「何者か」であって、それは--実在・架空を問わず--およそ個人ではありえない。(同)

 

本稿の論点の七夕歌については、これは元々フィクショナルな題材を、登場人物になり変って詠むというものが多いのだが、明らかに当事者詠であっても、設定が未熟なため一首中に地上からの視線を思わせる表現が混じるものもある。

他に七夕の登場人物を目撃したという設定の第三者的立場からの詠、「見えつ」という想像もあるが、それ以上に推測の助動詞を欠いた形の断言での表現も見られる。「当事者的立場と位相的に等しい」、つまり、織姫や彦星になり代って詠まれたものであるが、さらに「外的視点と内的視点が共存していて、主体はその双方に跨って現れつつ、当事者を一方では客体化し、一方ではその意識をじかに描き出す。」以下の二首。

 

己が夫ともしむ子らは泊てむ津の荒磯ありそ巻きて寝  2004

彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ 2006

 

そして著者は、それを次のような「造形の先蹂」であると見る。上の例は七夕伝説がフィクションであるから視点の揺らぎがあって当然だが、下のような歌においてもそれが言えるという。

 

楽浪の志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(ひと)の船待ちかねつ 0030

安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き寝(い)も寝(ぬ)らめやもいにしへ思ふに 0046  

「船待ちかねつ」は、カネツの用法から見て当事者的なものの言いで、主体が唐崎と一体化したような表現。上二句で呼び掛けるように提示した唐崎との距離が、結句では完全に消去されてしまう。四六歌の「古思ふに」も、推量表現を伴わない点に内的視点の働きを指摘できる。四五歌末尾に軽皇子の意識として示された往時への思いが、視点の内的体制を保ったまま四六歌の「旅人」集団への意識へと拡張されるのだ。この安騎の野の歌(四五-四九)や献呈挽歌(一九四-一九五)のような、長反歌による構成体にあっては、多様な視点を複合する技術は方法の域にまで高められて、諸個人の意識を縦走して、集団の感情というべきものを作中に構築することに成功している。(同)

 

要約すると、一首の中で微妙な主体の移行というようなものがあり、 それが効果をあげているという点、七夕歌と比較群の構成を解く。そして冒頭に戻っていうと、それが歌の「主体」の指摘を困難にする所以なのであり、叙述の主体というものは、話者=作者=われというような単純なものではなく、かように複雑になり得るということなのだ。

『抒情』と共感

歌を叙述する主体とは、言われるような「抒情」の拠点であるよりも、むしろ享受者の理解や共感の拠点となるべき存在だろう。その点にかかわって、主体を実態的に了解する従来の論議は歌集七夕歌の虚構性を俎上にのぼせることには成功したものの、虚構という事態が成り立つ上で最も肝要な契機を捉えきれていなかった。(中略)肝要な契機とはいかにして人々の心をつかむか、という点である。

歌集七夕歌の主体は、伝説の内部に侵入したり、主人公の意識に自在に出入りしたりしながらものを言う。それは単に虚構を生みだす装置であるばかりであく、享受者と虚構の世界との距離を消去し、彼らがそこに容易に参加できるよう仕向けるための装置だったとは見られないだろうか。

 

この提議もおもしろい。しかし続いて言う。

「視点の複数性は、つまり、それ自体としては口誦の歌歌を特徴づける現象なのである。」

 

人麻呂がそれらの歌々を自ら書きとめ、編集したという点を見逃すべきではないと思う。彼は、それら'結果的に出来上がってしまった'歌々と向き合い、表現を吟味したりしたりする機会を持った。それは初期万葉歌の詠作者の与りしらぬ機会だったのである。共感に支えられた表現は、少なくともこの時点で、共感を支える表現へと鍛え直される可能性をはらんだ。その可能性を展開したものが上記の長反歌群なのだと考えてみれば、複数の意識を連繋させるという、人麻呂作歌に固有の技術は、やはり歌集七夕歌に原点を持っていたことになるはずだ。

 

はっきりはしない。推論に過ぎるかもしれない。

著者は「万葉集に『個の抒情』というようなものは存在しないと思うし、たとえ存在したとしても評価に値しないと思う。」と言い切る。

 

もちろん万葉時代の人々は「生述心緒」や「寄物沈思」の標目に示されるように、歌とは心を述べるものだと考えていた。けれども、「内面の自由」という発想を持ち合わせなかった彼らにとって、歌に心を託する技は何よりも他者とのつながりを求める行為であって、自我の内面に集中された体験を直接表現する行為などではなかった。近代的詩歌観に馴れた目にある種の万葉歌が「個の抒情」と映るのは無理もないにしても、その抒情めいた歌々は、人々の共感に回収された初めて意味をなしたのである、その意味で、歌はどこまでも共有されるべきものであった。

 

歌集七夕歌の文学的意義は、繰り返すが、<共感に支えられた造形>から「共感を支える造形>への質的飛躍がそこにはらまれた点にあったと思う。舶来の伝説をうたう経験が、不特定多数の読者の出現と結びついた時、転換はもたらされた。人麻呂という<作者>が出現したのもまさにそのときだったが、それは宮廷歌人としての作者であって、抒情詩人としての作者ではなかったのである。

品田氏は斎藤茂吉についても、やや似たことを書いていたと思い出す。
短歌はほぼ「私小説」的なものだと思われていることが多い。
しかし、短歌におけるアイデンティティー、「われ」の問題は、決して単純に考えてはいけないということを心しておく必要がある。




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