長塚節の序詞のある一連の短歌『秋の歌』とそれぞれの構成について、歌人柴生田稔の興味深い解説文をお知らせします。
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長塚節『秋の歌』の短歌
小夜深にさきて散るとふ稗草(ひえくさ)のひそやかにして秋さりぬらむ
植草ののこぎり草の茂り葉のいやこまやかにわたる秋かも
目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばらつばらに
馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひみるべし
この一連の、「小夜深にさきて散るとふ稗草の」「植草ののこぎり草の茂り葉の」「栗の木のなりたる毬の」「馬追虫の髭の」の部分が序詞とされています。
「栗の木のなりたる毬の」
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柴生田稔の解説文
この序詞の部分について、アララギ派の歌人の柴生田は下のように解説、
ここで用いられている序詞は、いわゆる有心の序である。「小夜深にさきて散るとふ稗草の」は、音と意味とで「ひそやかに」を導き出す働きをしているわけだが、それだけではなく「秋さりぬらむ」(秋が来たようだの意)のイメージ化をも果たしているのである。(柴生田稔)(『鑑賞日本現代文学』)
序詞の箇所
それぞれの歌の序詞の箇所とその説明は
二首目の「植草ののこぎり草の茂り葉の」は「こまやかに」を、三首目の「栗の木のなりたる毬の」は「つばらつばらに」を、五首目の「馬追虫の髭の」は「そよろに」をそれぞれ導き出す序詞の役割を果たしつつ、一方で「のこぎり草」「栗の毬」「馬追虫の髭」それぞれがイメージを主張して主意と深くかかわるというかたちをとっている。〈気配〉という不確かなものに、実体的な手触りを与えるこれは有効な方法であった。(柴生田稔)(『鑑賞日本現代文学』)
「らむ」他助動詞の効果
さらに、助動詞の効果について
この一連は、一連中に「らむ」「めり」「らし」「けむ」といった推量の助動詞を多様しながら、このような序詞部を含めて、書く歌中の中核となる名詞のイメージを強く打ち出して推量形の不確かさを揺り戻すという高度な技術に拠っているのである。(柴生田稔)(『鑑賞日本現代文学』)
序詞はこの時代の短歌に特に多用されたということはありません。
一連すべてに序詞が使われているということは、作者長塚節の十分に意識して考え抜かれた技巧的な歌といえます。
最後に、柴生田は下のように結論を述べています。
「少し視点を変えて、実質的な言葉を意味から見て行くと、結局この歌で働いているのは観念であり、理智であり、ただ声調に解けた情趣によって透間なく真実の裏打ちがなされているのであって、素朴に現実に切りこむのではなく、非常にきわどい巧みの上に成り立った歌だとも言えよう。」(柴生田稔)(『鑑賞日本現代文学』)
詳しく解説されていますので参考にされてください。