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我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて「万葉の歌人と作品」大津皇子・大伯皇女の歌

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万葉集に関する論文を集めた本。和泉書店刊「万葉の歌人と作品」より。
品田悦一の項。

大津皇子(おほつのみこ)、竊かに伊勢の神宮に下りて上り来る時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の作らす歌二首 

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし(2-105)

二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ(2-106) 

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仮託説の考証の中で品田が述べる部分。


類似的発想との親近性は、個の体験を言葉に定着しようとする社会的思考が存在しないか、または未成熟で、そのための技術も未開拓である状況を反映するものではなかったか。歌われた歌はむろん個としてのものに違いないのだが、大迫がそれを表そうとした時、彼女は集団のことば---歌う営みによって鍛えられ、歌うならわしとともに伝えられてきたもろもろのことば---に寄り縋らなくてはならなかった。体験の切実さはおのずから張りつめた調べをうんだものの、自己の心境をくまなく言い表すには、彼女はあまりに伝来の発想や慣用句にとらわれていた。とらわれるまでに親しんでいたのである。歌とは、つまり彼女や彼女の同時代人にとって、内面の表出の具である以上に、他者との交換の道具なのであった。共有されていた発想や慣用句こそ、その交換を保障するものであって、歌はその意味で個々人を社会化する仕組みでもあった。

 大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首

あしひきの山のしづくに妹待つと我(あれ)立ち濡れぬ山のしづくに(2-107) 

 石川郎女が和(こた)へ奉る歌一首 

我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを(2-108)

 大津皇子屍(かばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたがみやま)に映し葬(はぶ)る時に、大来皇女の哀傷して作らす歌二首

うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我(あ)が見む(2-165)

磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに(2-166)

 「移葬時に至ってもなお死者との隔絶を承認しない歌い方」に、165、166にも仮託説は否定。165「我」と「我が」の重複に口踊歌の可能性もありとする。

なお、大迫皇女と大来皇女は書字の違いで同じ人物を指す。

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