古泉千樫 未分類 本・歌集

古泉千樫の短歌の特色「歌を恋うる歌」岡野弘彦から

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原阿佐緒の伝記本を読んでいたら、古泉千樫についての次の個所が目にとまった。

岡野弘彦は「歌を恋うる歌」に、千樫の天性の抒情の細やかな美しさは短歌の理想の形を見せていると評し、釈迢空は「日本の短歌は本質に従うて伸びると千樫の歌になる」『あらゆる時代の歌を調和した発想法を持っていた」と言ったという。

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岡野の古泉千樫についての箇所を「歌を恋うる歌」から引く。

この本は連載記事を集めたものらしいのだが、他の記事にも千樫のことが2箇所ほど出てくる。

みむなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも
山行くとくぬぎの若葉萩若葉扱(こ)きつつもとな人わすらえず
草山の奥の沢べにひとり着てなはしろ茱萸をわが食べにけり

千樫のまだ二十歳になるかならずの頃の歌である。ここには新しい思想や敏感な都会の感覚を詠んだ歌とは全く違った。日本の一般的な農家の若者の生活があり、農村の風景がある、しかも、一首一首の歌のもつやわらかなしらべと、リリカルな香りの高さら比類がない。(中略)千樫の短歌は、近代の歌人の作品のうちで、短歌としての一番素直で自然なよさを備えたものだと、私は今も思っている。

他の箇所。千樫の特色がより詳しく述べられている。

入りつ日の名残さびしく海に照りこの牛ひきに人いまだ来ず

千樫の歌はしらべがのびやかで美しい。すこしもとどこおるところがなくて、すらりと歌っていて、しかもどこからともなく静かなさびしさが生まれてくる。

茱萸の葉の白くひかれる渚みち牛ひとつゐて海に向き立つ

風景がしっかりととらえられていて、牛の姿と牛を包んでいる風景が眼にうきあがってくる。それとともにその牛をめぐって、ほのかな悲しみの思いがゆらゆらと立ちのぼってくる。歌の調べと、描写と、抒情とが微妙にひびきあって、歌の至福の姿を見せている。

五百重山(いほへやま)夕かげりきて道寒ししくしくと子は泣きいでにけり

わが児よ父がうまれしこの国の海のひかりをしまし立ち見よ

祖父(おほちち)に初めて逢ひて甘えゐるわが児の声のここにきこゆる

一首目の歌など、「五百重山」と思い切って大柄で古典的なしらべの張った言葉を用いて歌いだし、次第にもの静かに哀切に歌いすすめてゆく言葉のはこび、心のうつり、おっとりとして繊細で、余人にはまねのできない境地である。千樫は白秋のようなきららかな才能は持たず、茂吉のような力づよさもなかったが、天性の抒情の細やかな美しさは、短歌の理想の形を見せている。

おもてにて遊ぶ子供の声きけが夕かたまけてすずしかるらし

うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも

秋の空深みゆくらし瓶(かめ)にさす草稗(くさびえ)の穂のさびたる見れば

千樫の歌は以前から折に触れて見続けていたが、なかなかその特徴が説明できない。手引きがあって初めて輪郭がつかめる。

千樫は生前は貧しくも恵まれず早逝した人だが、岡野氏の歌に寄せる思いが、その歌の美しさとあいまって慰められる思いがする。 「一度も会うことはなかったけれども不思議になつかしい思いのする人がいる。」(岡野)







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