万葉集に関する各論文を集めた本。和泉書店刊「万葉の歌人と作品」より。
「私情の発見」この項の著者野志隆光。
万葉の時代においては、個人の心情を歌にするということは、一般的ではなかったというのは、かなり意外だった。
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ますらをと思へる我(あれ)もしきたへの衣の袖は通りて濡れぬ 2・135 末尾
「ますらを」という官人意識の反映する自負にかかわらず、女々しい悲しみに押し流されてしまうという意味だが、 個人の心情を歌にするということは、この時代には一般的ではなかったという。私的な感情は元々丈夫の口に出すべきものでもなく、また宮廷という場においては猶更であった。
(私情は)それを「丈夫」たるものが抱える「私」としてあらしめることは、人麻呂が歌によって「一般化し、社会化すること」においてはじめてあったものではないか。石見相聞歌が「丈夫」の「女々しさ」としてあり得た物を示す時、それは「私情」として見出されたのだということができる。要するに、あったものが歌に表現されたのではなく、歌われることによって「私情」が発見されたのである。
末尾の文に注目する。
そして、そのように表し出し、それを磁場とすることによって、「私情」を含む世界として、歌が、世界を表すことを可能にするという意味を持つ。端的にいえば、天皇の世界を構成する「私情」である。「公的」な、言いかえれば、公表すべき、「私情」として発見されるということができる。
相聞ジャンルの確立
これに石見相聞歌を含む人麻呂の歌が、万葉の「相聞」という部とジャンルを確立したという推測が続く。
私情を含むことを「相聞」という部立てにおいて制度化し、それは歌のあるべきありようとして成り立たせられることとなる。相聞歌があって人麻呂がその中から突出する相聞歌をなしたというようなものではなくて、人麻呂歌によって、相聞歌が成り立たしめられるというべきであろう。また、あった歌を相聞歌として引き寄せるのは、人麻呂歌の磁場であって、人麻呂以前は、そこからもとめられたのである。