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短歌における生の一回性の原理とは「短歌の友人」穂村弘

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穂村弘の本を読むのは「短歌という爆弾」に次いで二冊目になる。

以前新アララギ誌において、穂村氏の「人生物語の否定」に対する反論が出たことがあったためである。

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「モードの多様化について」

穂村氏は「近代短歌的なモードを支えてきたものは『生の一回性の原理』」だという。「そこでは『命の重みをうたう』ことが至上の価値とされ(中略)、短歌は『命の器』となった」。

そしてその後の前衛と今の穂村氏が属する新世代短歌の共通するコンセプトを「生命を生身のそれではなくて自由に扱えるモノとしてとらえる言葉のフェティシズム」であるとする。以下穂村。


「我々は『生の一回性』の実感を手放すことで、何度でも再生可能なモノとしての言葉を手に入れたのである。/このようなモノ的アニメ的マンガ的なモードの発生には、おそらくは我々が生きている環境の変化が関わっているのだろう。具体的には、生活環境の都市化によって、対象との直接的な接触体験が減少したこと、一方で映像等のメディア環境の発達によってバーチャルな間隔が増大したことなどの影響が考えられる。(『短歌の友人』穂村弘)

この項は興味深く読める。写実の人から新世代の短歌が語られることはほとんどなく、それ以前に自分たちのスタンスについて、短歌史の側から俯瞰した分析や内省がなされることもあまりないようである。

写実の短歌の今後についても示唆に留まるものしか目にしたことがないので、論が深まらず物足りない面がある。穂村氏の本を読むのはこの点がおもしろいからであって、一般的に「歌論」と呼びならわされているもの以上に視点に幅の広い面があり、短歌をする人でなくても考えさせられるところもあるだろう。

モードの多様性を自然なものとする間隔に反比例して、現実を唯一無二のものと捉えるような体感は衰退してゆく。そこでは現実も想像も、言葉の次元ではすべてが等価であるという錯覚が生まれ、その結果、モードの乱反射の中にモチーフが紛れてしまうというようなことが起き易くなる。いわゆる「なんでもあり」の感覚である。

すべてがモードの問題に還元されるような感覚を突き詰めるとき、その根本にあるものは死の実感の喪失である。モードの多様化は、自分自身が死すべき存在だという意識の希薄化と表裏一体になっている。私自身を省みても、モードの多様性を受容するスタンスの背後にあるものは、自分は永遠に死なずにいつまでもここで遊んでいられるというような感覚だと思う。(同)

もっとも私自身について言うと、短歌を始めたのは死を前提にした看護の最中であり、入会したのは被介護者の死の直後であった。

つまり初めから「死と再生」が詩歌への接近とパラレルに織り込まれていたために、穂村氏と同世代ではあっても「生の一回性」を疑ったことはない。

また、そのようなテーマには写実主義の派が適しているのも必然であったことにも改めて思い至る。

その上でいえば、たとえ「生の一回性」に根差したものであっても、それ以外のモチーフであっても、詩歌は皆バーチャルなものである。

歌はあくまで紙の上に記された文字と言葉でしかないし、そこから立ち上ってくる物も人も読み手にとって実在のものでもない。

穂村氏が近代短歌のモチーフのひとつひとつに実在の匂いを嗅ぎ取るとすれば、それは彼らが写実というコンセプトを意思的に極めようとし、「写生」という技術を駆使して一つの完成したスタイルを作り上げたために他ならない。

初期の茂吉作品に「空想的傾向」が、師の伊藤左千夫によって指摘され、茂吉がそれを排し、写実の道に徹しようとしたことはよく知られている。

そもそもが写実の短歌も含め、詩歌全体が二次元平面の紙の上に置いた事象を三次元的実在と見紛うように言葉が対象化されて用いられるとしたら、それはやはり日常とは別の、ある種の万能性という負荷を担わされた「言葉のフェティシズム」と呼ぶのにふさわしい。

「人」と書かれた文字が実在の人を指し示すのではないという前提で、その言葉自体が生身の人以上の重みを持つとしたら、それは言葉本来の機能を離れた倒錯的な現象なのである。

本来詩歌というものはそのような、詩的言語、いわば「遊び」の言葉を契機とする読み手の心象によって成り立つものなのであり、言葉がその記述によっていかようにもそこにあるイベントを変え得る「バーチャル」を前提とするならば、むしろ記されたものにどれだけの揺るぎない「実」を持たせるかが、写実派が心を砕いてきたことであった。

私がその言葉を選び取った、すなわち結社に入会をしたのは、対象者との死別直後であった。上記の言葉に添って言うなら「生の一回性」は死によってもたらされたコンセプトであり、生き身の人の言葉とはかけ離れた詩歌の言葉も、またそのような反転した世界へ通じるための鍵であった。

対象者は永遠に死に、かくして私のもとには「言葉」がもたらされたのである。







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