詩人として出発した人だからなのか、住み続けた吉野の土地柄なのだろうか、アニミズム的な宇宙観・生命観に特徴があって興味を引かれる。
柳田國男や折口信夫の民俗学にも精通していたらしい。前川佐美雄に師事。
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歌集『子午線の繭』
他から抜粋。
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧(おの)は
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり
地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ
暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か
狂ふべきときに狂はず過ぎたりとふりかへりざま夏花揺るる
杉山に朝日差しそめ蝉のこゑかなしみの量(かさ)を湧き出づるなり
三人子(みたりご)はときのま黙し山畑に地蔵となりて並びゐるかも
雲かかる遠山畑と人のいふさびしき額(ぬか)に花の種子播く
夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで
前登志夫 まえ-としお 1926-2008
昭和後期-平成時代の歌人。 大正15年1月1日生まれ。詩人として出発したが,昭和30年前川佐美雄に入門し短歌に転じる。
郷里の奈良県吉野で林業を営むかたわら、自然を背景とした土俗的な歌を作り続けた。