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めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり 斎藤茂吉「赤光」

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斎藤茂吉「赤光」から主要な代表歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。

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歌の意味と現代語訳

めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり

現代語訳

めん鶏は砂を浴びていた。その庭をひっそりと剃刀研ぎ師が通り過ぎて行ったのだ

出典

「赤光」大正2年 10 七月二十三日

歌の語句

居たれ・・・已然形
剃刀研人・・・各家庭を訪ねて刃物を研いでは料金をもらっていく職の人

表現技法

2句切れ 已然形止め 
已然形止めは茂吉独特の用法

「めんどり」「ひっそり」「かみそり」「にけり」のラ行の音を含む類似の音型の連続に注意。

3句の「ひつそりと」の促音は一首全体のアクセントをなす。

■茂吉の已然形止めについての解説
「斎藤茂吉―あかあかと一本の道とほりたり」

解釈と鑑賞

真夏の日中に家にいる時の出来事を、沈黙のうちに、その気配だけで詠んだものだということが、自解でわかる。

めん鶏どもが砂を浴びて居る炎天の日中に、剃刀研ぎがながく声をひいて振れて来た。その声に心を留めていると、私のいるところの部屋の前はもう黙って通り過ぎてしまった。それが足駄の音でわかる。炎天の日盛りはそういう沈黙の領するというようなところもあった。(「作歌四十年」斎藤茂吉)

砂を浴びる鶏と剃刀研ぎの気配のなかに白昼の領する沈黙の意味を感じ取って、その不気味なような瞬間を永遠のものとしている。深い生の倦怠をのぞき見ているような歌である。
「めん鶏」でも「ひっそりと」でも、かけがえのない一つの感情を託した語であり、「ひっそりと」など今日から見ればやや平俗であるが、平俗なものを苦心して発掘した功績は今日でも光っている。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり

現代語訳


戦いは上海に起こっていた。ホウセンカが紅く散っていた。

出典

「赤光」大正2年 10 七月二十三日

歌の語句

たたかひ・・・報道された上海の動乱を指す。第二次革命の中国内線。

表現技法

3句切れ。
居たりけりの反復

解釈と鑑賞

意味がよくわからないために評判になった一首。
関連のないものが、終止形で並置されているだけだが、その対照が緊張を醸し出す不思議な歌。
鳳仙花が「赤く散る」ことが、実際には述べられていない戦いのすさまじさを予感させるためだろう。

なお、赤い鳳仙花が散るのではなく、「赤く散る」という語順にも注意を払いたい。

作者本人は、

この一首は、上句と下句」が別々なように出来ているために、「分らぬ歌」の標本として後年に至るまで歌壇材料になったものである。しかしこの一首などは、何でもないもので、読者はただこのまま、文字通りに受け入れてくれればそれでよいのであって、別に寓意も何もあったものではないのであるそしてこの一首はこのままである面白みを蔵しているのである。

上句と下句と別々のことをいっているが、この独特の形態は、説明を排して状態だけを投げ出すように言って、言葉には説明しがたい感情・空気と言うものを表現しようとしているのである。
夏の日ざかりに紅い鳳仙花の散る情景には、ここにも沈黙と倦怠のこころがあるが、それは「たたかひは上海に起り居たりけり」と言う背景に拠って特殊になっている。一種鬼気せまるような息づまる静かさが感じられる。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)

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