今日の朝日歌壇の短歌時評に大辻隆弘さんが「分断を越えるもの」というタイトルで、俵万智の短歌を挙げていました
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大辻の記述部分。
瀬戸は女性たちの中に存在する断絶に苦しんできたことを告白する。当初、彼女は、俵万智を「おじさま方に愛される清楚キャラ」として敬遠してきた。しかし、次の一首を読んだとき、彼女の中の俵の印象が一変する。
「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい
---俵万智「チョコレート革命」瀬戸は、この歌の「勝たせてほしい」という切迫した響きの中に、男性優位社会の中で抑圧されている女性の叫びを聞く。その叫びのなかの俵との連帯の可能性を感じた。
『チョコレート革命』のテーマ
「現代短歌」の特集での記述を元にした記述なので、原文を読んでいないとよくわからないところもあるのだが。
「チョコレート革命」は「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす」から取られた題名の歌集で、テーマは婚外恋愛である。
そもそも、歌の解釈というのは自由に行ってもよいものなので、どのように思い描いてもそれも読む人もの自由と言われる。
しかし、この歌に関していうのなら、歌集のテーマが婚外恋愛である以上、「勝たせてほしい」というのは、社会的な範囲のものにたいしてではなく、もっと局所的な個人的な「戦い」におけるものだということは、歌集を読んだ人なら誰でもが理解できることだろうと思う。
そして、もう一つ、一般にならともかく短歌をされる方が、俵万智が「おじさま方に愛される清楚キャラ」と思うというのもよくわからないのだが、これは風貌の印象なのだろうか。
「サラダ記念日」の作者は、様々な恋愛シーンを描く。そして、相手の歯ブラシを部屋に置くような、むしろ放逸な若い女性である。
私はほぼ俵と同世代だが、その頃は道徳観に縛られないフリーなライフスタイル、今ではそれも当たり前になったが、それ自体がめずらしかった
男性を自分より上位であるなどと見るような、ある種の影はサラダ記念日の「われ」にはあるとは思えないし、さらに、男性の求愛には応じない「缶チューハイ」や「花いちもんめ」に、男性に対する迎合も抑圧も感じはしない。
だいたい、俵万智は、歌人になる前は学校教師をしていたのだが、その職業に関しては比較的男女差別や格差は少ない。
そして歌人としても、ある意味、俵万智ほど成功している人もいないように、収入は一番売れている時で、1回の講演料が200万円と提示されたと読んだことがある。
俵さんは偉い人で、そのあまりに高額なことに驚いて、以後の公演は全部断ったともいうのがその結末だったのだが、それを聞いても聞かなくても桁違いの収入は男性と比べるまでもない。
そのような人が男性社会の抑圧を感じたとしても、ごくわずかだろう。
ましてや文筆業とすれば、少なくとも社会活動において人と遮二無二争って「勝たなければならない」位置に俵があるとは思えないのだが。
「チョコレート革命」とその後
「チョコレート革命」においては、先に上に書いた通り、「勝ち負け」でいうのなら、最初から「勝たせてほしい」側の婚外交渉の相手として名乗りを上げた形になった。
もっともそれを短歌や著作として公表したということは、負けの惨めさはさらさらないだろう。
そして、作品ではなく、実際の俵さんは自立した女性として、シングルマザーとして仕事をしながらお子さんを育てている。
女性皆がそうであるように、仕事をしながらの子育てはたいへんだ。
もはや勝ち負けのどちらでもない。歌を離れては、ただ一人のお母さんが居るだけだろう。
「あたしおかあさんだから」歌詞全文とその後の論調まとめ