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桜桃忌 太宰治『走れメロス』の元になったエピソードと親友山岸外史との交流

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明日は桜桃忌。文豪、太宰治が、玉川への入水によって亡くなった日です。

情死による溺死、つまり自殺とされていますが、事前に多量の睡眠薬を飲んでいたなど、当時、疑問に思う人もいたようです。

太宰はそれまでにも何度か心中や自殺を試みたことがあり、そのいくつかは狂言自殺の類であったり、あるいは、自殺に失敗することも何度かありました。

なので、尚更最後の自殺が、単独での死ではなく女性との心中であったところから、様々な憶測も生まれることになりました。

桜桃忌にちなんで、太宰の「鎌倉自殺未遂事件」と有名な小説『走れメロス』とのつながりについて思うところを書いてみます。

 

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『走れメロス』の原作はシラーの詩

『走れメロス』については、古伝説によったシラーの詩を読本にしたもので、太宰が読んだのは小学校の時の国語の教科書に載っていたものとされています。

そのあと再びシラーの原典が想起され、それが『走れメロス』として仕上げられました。

この原典は、長いこと太宰の記憶に埋もれていたはずですが、この時にそれを書こうとしたきっかけは何だったのでしょうか。

山岸外史との交流

太宰には、文芸評論家を目指していた山岸外史という知友がいました。親友といっていいと思います。

山岸は人柄の温かい人ながら、直情型の人でもあったようで、後年、不調になっていた文学を止めると、太宰治とも絶交してしまいました。

しかし、それまでは、檀一雄、太宰の遠戚の小舘善四郎と「四馬鹿」と称するくらい、其の4人の若い時代の密な交流がありました。

「山岸さんさえいれば太宰は死ななかったものを」

山岸外史は、4人の中でも特に、絶交後の太宰の玉川上水への入水後、太宰の妻美智子さんに「山岸さんさえいれば太宰は死ななかったものを」と言われたような親友でした。

物憶えの良い人で、太宰との交流をつぶさに記した本を後年出版しましたので、その記述を通して、太宰の文学的歩みの一端を知ることができます。

友の髭を自ら剃った太宰

山岸の無精ひげを見かねて、「日本剃刀は使えるか」を聞いた太宰が山岸のひげを剃ったことがあります。
太宰も雑事はできないような人でありましたが、その友が自ら剃刀を取ってひげを剃ってくれた、その心遣いに山岸は打たれました。

そのような密な交流が太宰の習作時代から、ずっと続いていたわけです。

鎌倉自殺未遂事件

あるとき、太宰が行方不明になり、皆が大騒ぎになりました。たまたまその折は山岸は入院中でした。動静が伝わらなかったのは、そのためであったかもしれません。

鎌倉山中に自殺をするつもりだったが、それに失敗して帰ってきたと知った時、山岸は怒りました。

叱ったのではなく怒ったのです。相手の行状云々ではなく、自分が何も知らされなかったこと、つまり友人として無視されたことを、侮辱されたとして怒ったので、太宰は反論のしようもなかったようです。

「狼が出たと叫んでは、村中の人を驚かした嘘つきな少年の話があったネ、あの話は、小学校の修身の話の中で、ぼくがよく憶えている話なのだが、君、あの話なんかどう思いますかね」

この言葉には太宰もこたえたと見えます。またこの時は、太宰がこたえるまで山岸は言い続けたので、太宰としても身に染みたところがあったに違いありません。

そして、山岸がこの言葉をしっかりと記憶して記しているところから、私はどうも太宰がシラー原詩の『走れメロス』の原型を、「修身の教科書で読んだ」というそこのところに、何らかのつながりがあるような気がするのです。

『走れメロス』檀一雄とのエピソード

『走れメロス』の外形を作ったと思われるもうひとつは、既によく知られた次のエピソードです。

昭和11年末、檀一雄と太宰は熱海へ旅行。
太宰の妻に預かったお金で遊びまわった後支払いをしようとしたときには、財布にはお金が残っていませんでした。

そこで太宰は、檀を人質として宿に残し、金策のため一人東京に戻りました。
しかし、檀がいくら待っても太宰は戻って来ないため、檀はとうとう料理屋の主人に連れられて一緒に東京に戻ります。

太宰を捜して師の井伏鱒二の家を訪れると、当の太宰本人は、縁側でのんきに将棋を差しているところでした。

怒って詰め寄る檀を見て、太宰は

「待つ身がつらいかね。待たされる身がつらいかね」

と言ったそうです。

檀一雄は、『走れメロス』を読んだとき、

「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」

と書いています。これは部分的にはもちろんその通りであるでしょう。

天にとどろくような美談

鎌倉自殺未遂事件の1年後、昭和11年夏、船橋の家に太宰を尋ねて行った小野正文と共に太宰は海岸に出て、言ったといいます。

 「僕の、いま一番書きたいのは、天にとどろくような美談だ」

小野は、太宰のこれまでの生き方や作品と、「美談」という言葉が、すぐには結びつかず、真意を測りかねたといいます。

しかし、小野はやがて『走れメロス』を読んだときに、「天にとどろくような美談」とは、つまりこれであったのか…と思い当ったといいます。

神聖な領域としての友情

一体どちらが『走れメロス』の母体であったのか。それははっきりとはわかりません。
小説のインスピレーションというのはそもそも単一ではなく、複合的なものであるともいえます。

私が『走れメロス』と山岸外史とを結びつける根拠として明確に挙げられるものは、ただ「小学校の修身の教科書」という共通項のみです。

しかし、山岸に言われるまま、記憶を探って太宰が思い返したものは、「狼が来た」ではなくて、シラーの方だったのではなかったか。

出来事の実際の外形は、檀一雄とのエピソードが近似しているでしょう。

しかし、その根底にある友情は、どう見ても軽いものではありません。料理屋の支払いなどは大事ではなく、放っておいても構わない。そう思うからこそ太宰は戻らなかったのです。

その程度のものであれば、「天下にとどろくような美談」の小説を描く原動力になり得るとは思えません。

友情とはどういうものか教えられた

人間性に欠陥のあったとされる太宰、また肉親との情薄く育った太宰に、友情というものを教えた人がいるとすれば、それは山岸外史との交流以外になかったと思われます。

山岸は、太宰が自分に何も知らせずに死のうとしたことを、「『神聖な領域』を犯した太宰の無知に憤った」とまで言っています。

「すまなかったよ。そこまではとても考えきれなかったのだ。山岸君、謝る」と詫びた太宰には、山岸の怒りは予想外でした。

太宰は人とのかかわりにおいて、それまでの自分の思いもよらなかったものを学んだに違いありません。

太宰は、山岸の怒りに見て取った、その「神聖な領域」を小説の中で復活させようとしたのではなかったか。

失踪事件のあとの会話で、山岸は太宰に詰め寄ったいいます。

「君、死へのムードの本質を、ひとつの嘘もない真実として、ほんとに告白してみせてくれないかね」

『走れメロス』の中には、その山岸への要求「ひとつの嘘もない真実」に応えるような言葉も見られます。

「ああ、できる事なら私の胸を截(た)ち割って、深紅の心臓をお目に掛けたい。愛と真実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい」

山岸は評論家を目指していたので、習作期の太宰の小説には、年上ぶって、いろいろ注文を付けるのが常でした。

習作期の太宰はそれに応えならがら腕を磨いたのであり、山岸に応えたい、褒められたいとする気持ちも常にあったのです。

「人間失格」登場人物のモデル

少なくても、檀一雄とのエピソードに見られるものは、友情の聖域と呼べるようなものではありません。

一方、太宰のそばに居て、欠点をも知り尽くした美智子夫人が言う「山岸さんさえいれば太宰は死ななかったものを」は、あまりにも痛切でもあり、二人の過去の交友の深さをうかがわせます。

晩年の『人間失格』においては、既に山岸は絶交して太宰とは連絡を絶っていたわけですが、太宰は「堀木」という人物として、山岸を登場させています。堀木のモデルは明らかに山岸です。

堀木の人物の記載が嫌味に満ちているのは、突然自分との友情を絶った山岸への怒りと悲しみが残り続けていたからでしょう。

裸のメロス--美談を書いた自分への含羞

『走れメロス』の最後は、メロスが裸であったという、どこか戯曲的な終わり方です。

物語りの着想がどこにあったのかは、これ以上確とは言えません。

が、一つだけ言えることは、最後に太宰がメロスが真裸であったと書き加えたのは、「美談」を記し終えた太宰自身の含羞であろうと思うのです。

 


 

若き日の太宰との交流を詳細な記憶でつぶさに描き出す。最も詳しいもの。

同じく、作歌檀一雄による評伝。

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