乳房の短歌 近代から現代短歌まで 与謝野晶子 中城ふみ子 道浦母都子 篠弘 高野公彦  

広告 季節の短歌

乳房の短歌 近代から現代短歌まで 与謝野晶子 中城ふみ子 道浦母都子 篠弘 高野公彦

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こんにちは。まる@marutankaです。

少し前に歌集『乳房喪失』で知られた中城ふみ子の短歌を調べていました。

中城は乳がんの闘病を主題とした歌人ですが、そもそも女性の乳房に関連する短歌には、どのようなものがあるのか、そして、乳房がどのように詠まれているのかを知りたく思い、乳房を詠んだ短歌を集めてみました。

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乳房の短歌

乳房を詠んだ短歌を、近代現代とに分けて掲載します。

古い短歌においては、乳房は詠まれる対象ではなく、近代短歌においては、母性の象徴、現代に至ってはフェミニズムとの関連や、女性の自己主張の風潮と相まって、歌に取り入れられるようになりました。

単なる体の一部というより、シンボリックな意味合いが込められてもいます。

近代短歌

まずは比較的古い時代の短歌から。

乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き  与謝野晶子

近代で、ここまで大胆に乳房を詠んだのは、与謝野晶子が最初ではないかと思います。

この歌はこれから大人の女性になろうとする時の心境なのでしょうか。

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ  与謝野晶子

これは、男性に相対して詠まれた歌です。春は短い、命も不滅であろうはずもない。そして、命の象徴であるかのような乳を、相手の手に触れさせる。

現代であったとしても、このような想念はなかなか生まれにくいかもしれません。

 

 

垂乳根の母が乳房に寄眠(よりねむ)り一つの蜜柑小さき手に持つ  伊藤左千夫

母の胸に抱かれて、蜜柑を手に眠ってしまった子ども。一枚の絵を見るかのようです。

伊藤左千夫は子だくさんで子煩悩でもあり、子どもを詠んだ歌も数々あります。

 

たたなづく稚柔乳(わかやはちち)のほのぬくみかなしきかもよみごもりぬらし  古泉千樫

身ごもった女性の乳房が豊かに変化をしてくる様子を詠んだもの。

「たたなづく」は幾重にもなっている意味の枕詞。「青垣」や「柔膚 (にきはだ) 」にかかるものを「稚柔乳(わかやはちち)」としたものです。

 

 

きのこ汁くひつつおもふ祖母の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ  斎藤茂吉

故郷山形の料理を口にして、祖母の乳房差を思い出す。「けむ」は過去の推量。「〜だろう」。

「祖母」は、実際は叔母のことなので、それほど老齢ではなかったと思います。

斎藤茂吉の歌集『赤光』の「死にたまふ母」に匹敵すると言われる、『あらたま』における代表作「祖母」の死の厳粛さの中にあって、和らいだ作品です。

 

 

やすらかに眠れる君が乳の上に手をばあづけて潮なりをきく  近藤元

作者は若山牧水に学んだ明治の歌人。この「君」はおそらく一連中の遊女だろうと思います。

 

湯を透きて心つましき己が胸のちち房みれば今もやさしき  今井邦子

島木赤彦に師事したアララギ派の歌人。自分自身の内へのまなざしを乳房を通して表しています。

 

いまはしき恋のかたみと乳の上の 刃の傷痕に心ふるひぬ  原阿佐緒

作者は、妻のあった最初の夫に力づくで貞操を奪われた後、自殺を試みた経験がありました。その傷跡を胸に思い出すと心が震えることを詠んでいます。

この体験からか、原は性的に満たされないまま、相手を傷つけるために、男性と関係を持つということを繰り返してもいたようです。

「美しいがための恋愛遍歴」のように紹介されることが多いのですが、目的は作者本人もいう通り「男性への復讐」であったようです。

 

 

しろたへの乳房みづから露はして吸はしめくるる老いの夢もなし  二宮冬鳥(とうちょう)

昭和期の医師であった歌人。「しろたへ」は白いものにかかる枕詞。

子どもの時のように、おのづと与えらるれべき乳房を、老いて憧憬する思いが詠まれています。

 

失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ 中城ふみ子

病気で失った乳房を惜しむ作者は、なだらかな丘の隆起に、ありし日の乳房を思い浮かべます。

春の花ではなく、冬の枯れた花がその丘に生い茂っては飾るだろう。悲しくも美しいイメージです。

 

現代短歌

これより現代の短歌からです。

 

ふるびたるいちやうの乳房垂れたるは行きにかへりにわれに近づく 森岡貞香

銀杏の大樹には気根という突起物を持つものがあり、それが「乳根」または「垂乳根」の銀杏などと呼ばれて、乳がよく出るようにという願掛けなどに信仰の対象とされてきました。

「いちょうの乳房」というのはそれを指すものと思います。それが通り路にあって、折々目に入るということでしょう。

作者は、夫を早く亡くし、遺児を一人で育てて、母と子の結びつきの強い歌をたくさん詠みました。

 

乳房はふたつ尖りてたらちねの性(さが)のつね哺(ふく)まれんことをうながす  上田三四二

「たらちね」は枕詞。作者は医師だった人で、乳房の形状が、人の子に乳を与えるに適しているということを詠んだものでしょう。

 

小さくなりし一つ乳房に触れにけり命終りてなほあたたかし  清水房雄

作者は妻を乳がんで早く亡くしました。その出来事を主に詠んだものが第一歌集『一去集』です。

この歌は、亡くなったばかりの妻の体に触れて別れを惜しむ歌ですが、妻は病気で乳房を手術した、その「一つ乳房」が悲しみを深くしています。

 

まろらなる乳にふれたる胸郭の血はいつまでも鎮まりがたし 篠弘

初めて女性に触れた作者の感慨です。

女性から見ても理解できる心情の表出が、そのまま歌となっています。

 

背を丸め茂吉いずこを行くならん乳房雲(にゅうぼううん)はくろぐろとくる 渡辺松男

「乳房雲(ちぶさぐも、にゅうぼうぐも)」は、雲底からこぶ状の雲がいくつも垂れ下がっている状態のことを言うのだそうで、珍しい眺めであると思われます。

茂吉との関連はよくわかりませんが、茂吉も用いた「くろぐろ」の畳語が、茂吉との連想のつながりを思わせます。

おそらく、乳房雲の眺めに、茂吉を思い出し、今頃はいずこを行くのだろう、と思ったことを詠んでいるのだと思います。

「行く」というのは、そもそも茂吉の初期の歌に多用される語であり、通常の「行く」とは違った意味合いを持っているといわれています。

 

人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ  道浦母都子

この作者の良く知られた有名な歌。「知りて」は恋を知った、または異性と深い関係になったということでしょう。

そうして、初めて知った新たな寂しさへの敏感な意識を、乳房をもって感覚的に表現しています。

 

乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見ている 辰巳泰子

みずからろくでなしとも呼ぶ相手にも乳房を与えて身を任せながら、花の終わりをもたらす雨を見ている。

不幸な愛に登場する乳房はめずらしいかもしれません。

 

魂を拭えるごとく湯上りの湯気をまとえる乳をぬぐえり 阿木津英

フェミニズムを代表する歌人の一人。女性から見て乳房は魂に匹敵するものなのかと思います。

 

乳房のなければ雌雄わかちがたく飛燕はすべる夏のなかぞら  島田修三

女性であるということが、形によって認識されている人間と、動物との違いです。

 

背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は作られたりき 永田和宏

背中から手を伸ばして、女性の胸に触れると、掌に収まるべく乳房が「作られて」いる。

それを知った作者の感慨です。

 

ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり 河野裕子

上の作者の妻であった作者の若い時の作品。胸に差す初夏の日差しがブラウスの中に及んで、「けむるような」乳房として想像されています。

自らの乳房を詠んでも、露出の嫌みのない、健康的な美しさに満ちた歌です。

 

弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生まれき  春日井健

二つある乳房を一つずつ分かち合うのではなくて、一人占めしたい。そう思う時に個としての自分を自覚したという作者。

一度読んだら忘れられない歌です。この歌人は妻帯はせず、母と暮らしました。

 

撮影の少女は胸をきつく締め布から乳の一部はみ出る 奥村晃作

「只事歌」というジャンルを考え出した歌人。見たものをそのまま詠んでいます。

はつなつの胸乳にひびく万象の中なるひとつ君の白歯も 小島ゆかり

 

シャツを脱ぐときに乳房の引っかかる静かな音を男は聞けり 吉川宏志

男性の敏感な意識を表します。目ではなく、耳でのみ感じる乳房の存在。

女性からすると、そういう「音」を男性が感じるということは驚きです。

 

戦争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために禱るも 塚本邦雄

戦争になると、夫や息子を奪われる母が必ずいます。そして、幼い子供を守るのもまた母の役目。

乳ではなくて「砂鐵(されき)をしたたらす」、風化してしまったかのような乳房は、戦に苦しみ多き女性の心の象徴なのでしょう。

 

手掴みに絞るグレープフルーツが乳房のように力返しつ 中川佐和子

果実が乳房にたとえられることも多いようです。芳醇な汁を蓄える共通点もあります。

グレープフルーツは、大きさもちょうど乳房と大きさも同じくらいかもしれません。

 

山姥の垂れし乳房にきらめける霧氷を吸いて日脚伸びゆく 前登志夫

山の冬を象徴的に歌っています。この山姥はどのような姿なのか想像をかき立てます。

 

 

はるかなる胸乳おもへばよはの闇鈴鳴るごときしづけさ湛ふ 高野公彦

遠くなってしまった記憶の中の母の乳房。

それが夜の闇に「鈴鳴るごとき静けさ」をもって思い返されるという美しい歌です。




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