柏原千恵子 歌人の肖像と作品  

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柏原千恵子 歌人の肖像と作品

2018年11月29日

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大辻隆弘さんの評論集『近代短歌の背景』に取り上げられている歌人の一人に、柏原千恵子さんという歌人がいます。2009年6月に既に亡くなられていますが、一部からは高い評価を受けている歌人です。その作品をご紹介します。

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柏原千恵子さん略歴

大正9年広島生まれ。『未来』同人。2009年6月に徳島の病院で逝去。享年89歳。
歌誌「七曜」を主催。歌集に『水の器』『飛去飛来』『彼方』。

角川『短歌』2004年8月号の特集「101歌人が厳選する現代秀歌101首」において、紀野恵さんが「とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひわれらひとつの空のたそがれ」を紹介して、知られるようになったという方です。

「今ここ」からの逸脱

大辻隆弘さんは、柏原さんの歌の特徴として、

「今ここ」という時空か上の一点から常に逸脱し、あくがれ出でているような気がする」

として、

その下に昼をいこひし藤棚もこの夕立にうちぬるるべし

をあげています。

また、同じく、作者のいる場所の不安定なまでの視点の遊離を次の歌にも見出しています。

いづこにか在るゆえ映る古びたる外国の街の海岸通り

 

以下は、特に分類せず、目に入った順です。

 

おほ空に色かよひつつ桐さけり消ぬべく咲けり消ぬべく美しも

山峡に瀧みれば瀧になりたけれなりはてぬればわれは無からむ

聲なくて見てをるわれとこゑなくてひたゆく雁と朝あけむとす

硬貨とり落して拾はぬ拾へざる戸外にわれはわれを捨てゆく

とほざかる感じのしばしつづきつつ桐の花あるままを歩めり

内に向くものかもまして冬の夜は知らざる界の奥深きまで

冬の夜を細りほそりて卓上に鉛筆はありぬいづくより来し

見えざればまして迫りて夕ぐれの海は一枚の手紙とおぼし

在らずして在るもののごとゆふぐれのかなかなのこゑ空に華やぐ

刈田未明鴉一羽がわたりをりゆるぎなく低く遠世わたれる

この町のひとつのビルの片面が夕日浴びをりしばらくのこと

遂に来し処のごとく展けつつ海はかたときも波だちやまぬ

いつの世のことにもあらぬ洗ひゐる米なるもののさらさらとして

宵闇をゆける一機の明滅の息詰まるまですべては未来

雨戸より落ちしは守宮おちたれば落ちたるものの體重の音

曇るとも晴るるともなきはるぞらに高らかに犬の声になく犬

夕映えにひととき早き真澄には柿の裸のこずゑの自在

おもおもと緋桃はひらく夜の底のまぶたのうらのときじくの花

とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひわれらひとつの空のたそがれ

ひと去(い)にて忘れてゆきしハンカチはひとり不思議な在りやうをする

拾はねばいつまでもそこに菊の葉の落ちてゐて夜の疊となりぬ

圓筒の紙屑入れはいくばくの疊の距離の夕さりに立つ

さるすべり花の重みに撓みゐるこの眼前(まなさき)のぬきさしならぬ

その觸(さや)りまだてのひらにありながら水切りの石水切りて無し

戸棚よりゆふべとり出す藍の濃き皿繪の魚と深くあひあふ

待つなくて待たるるなきはましづかにいたくかそかに溢れていたり

鰈の身まふたつに切る一隅がありてひとりにわが住まふなり

テーブルを拭ふわが手の動きをり動けりひとつ永遠のなか

鹽少し小瓶に殘りあかねさすこの人界の朝の食卓

ひたすらにひとつ蝉なき澄み入るは死後のはろけき時のなかにや

すでに世を離れしもののごとく来て雪敷く飛騨の町に眠りぬ

われ在りてこの現世(うつしよ)の夕ぐれの水に浮く茄子しづめるトマト

もののかげ忘じをはりて初夏未明ただしろがねの水ならむとす

詩ありきそれはほとんど水の聲この惑星に興(おこ)れるものの

ともし火をかかげきぬればかかげたる歌ことごとく返し歌なる

小流れをうづめつくせる大葦にここのみの時間(とき)が動くゆるらに

晩年の歌

晩年は、病を得て手術を受けた経験や、老人ホームに入所した折の歌も詠まれているが、単に老いの歌を越えて印象的なものが多い。

かつて、老人施設にいて、その生活をこのように詠んだものを見たことがありません。

再度、大正生まれの歌人、と思い返せば、その色あせることのない歌の優れた点が感じられることでしょう。

 

傷口に集りをれる血球のざはめくまでに夏のゆふぐれ

内蔵の缺けしところをあたらしき闇とぞなして身を運ぶなり

「ハルシオン」しづかに溶けよ概念の青き藻屑の夜のねむりに

水のような光のような自由欲りわれらがわれにかへるゆふぐれ

生きのこり生きのこれるは日常の底ひに冷ゆる桃をはみをり

われはいま淡くやさしき窪みかな夕ぐれ食物が運ばれてくる

褐色の塗ほのひかる腰掛よりたちていづくをかへれといふか

すべからくしづかとなりし寝ねぎはに生きをることを思ひいでつも

ことごとくひととほざかり痩身の百済ぼとけはよこたはりたり

いつの日の朝としもなき在りやおうにわが一椀の粥の素面(すおもて)

冬晴れ店長の聲の率直のかなしもわれは物を干すひと




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