ひとりを詠む短歌、家族の居ない孤独を詠う  

広告 現代短歌

ひとりを詠む短歌、家族の居ない孤独を詠う

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日曜日の朝日歌壇「ひとり」の短歌が目につきました。

台風が去って、だんだん秋めいてきたこの頃、精いっぱい暑さに真向かう夏とは違った思いが、胸を占めていることにふと気が付きます。
孤独を詠った短歌を朝日歌壇よりご紹介します。さらに、記憶の中にも探ってみます。

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孤独を詠う 朝日歌壇より

朝日歌壇に載っていたのは下の短歌、作者の敬称は略します。

父が逝き母も逝きたる秋の日のただに明るしこの世にひとり
――羽咋市 北野みや子

親がなくなるときというのは、誰にでも訪れます。

それによって、自分はこの世にひとりになってしまう。

独身の人であれば孤独感はなおさらですが、配偶者がいても血縁の者がいなくなるということもあります。

もう一首、

寂しいな独りが楽と言いながらコーヒーの香立つ雨の日の午後
――川崎市 貝崎みちえ

この歌は、初句切れ。主観を表す結論は最初の一句にあります。

「コーヒーの香立つ」「雨の日の午後」は、その日の環境と条件をただ並べただけなのですが、なんとも「ひとり」に似合うアイテムです。

 

リビングのフローリングに寝転がり一人は音も匂いもしない
――大津市 佐々木敦史

 

この場合、なんとなく寝転がってみるのは、柔らかいソファやベッドではなくて、固い板の上。

五感でとらえる一人は「音も匂いもしない」のです。

上の二首は永田和宏選。

奥さんで歌人の河野裕子さんを亡くされておられるので、共感するものがあったのでしょうか。

そしてもう一首つ、一人に関係した歌をご紹介します。

出張の夫のベッドは広々とそしてひんやり子らダイブする
――日野智子

万葉集に出てくるような「ひとり寝」を、広々としてひんやり冷たいベッドをポイントに詠んだもの。

子どもたちにとっては、お母さんが居るので、何の屈託もなく、喜んでベッドを遊び場にします。

このお母さんには、夫がいないこと、そしてその寂しさを子どもたちと分かち合えないという、二重の孤独感が瞬時に過ったのでしょう。

この歌でポイントとなるのは「ひんやり」というところ。

夫の不在を体感的に感じていることを、「そしてひんやり」と気持ちをそのまま語るように、口語めいて表したのが印象的です。

万葉集には、このような「ひとり」を詠った歌はたくさんあり、そちらもご紹介したいですが、ひとまず現代短歌にいきましょう。

 

俵万智の「ひとり」を詠う短歌

現代短歌で、「ひとり」を詠って忘れられないのは、俵万智さんの短歌です。

さみどりの葉をはがしゆくはつなつのキャベツのしんのしんまでひとり

2句切れ。

キャベツの芯は、キャベツの玉葉の一番ふかいところ。

「しん」の序詞のように、上三句がついています。

 

愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人

下句のリフレインがとても印象的です。

この作者は、愛された記憶をたくさん持っているその記憶を思い出しながらも「いつだって一人」。

だから、余計に孤独感が深いのです。

 

俳句の「ひとり」

俳句には

咳をしても一人

との尾崎放哉の有名な句がありますね。

妻と別れて、離島の寺の庵主として暮らしました。

 

いつも一人で赤とんぼ
鴉啼いてわたしもひとり

尾崎放哉と並ぶ自由律の俳人が、こちらの種田山頭火。

尾崎放哉は結婚経験もあり、会社勤めもしましたが、山頭火はもっと社会と隔絶したところに身を置いていたようです。

一枚の手鏡の中におれの孤独が落ちていた
――山崎方代

放哉や山頭火にちょっと似たタイプで、他に家族の居なかった人といえば、山崎方代を思い出します。

仕事という仕事にはつかず、靴の修理を生業としていたようです。

家族を持たなかった女性歌人

女性の歌人で孤独と言えば、文字通り天涯孤独の大西民子、富小路禎子など、孤独には違いないが、上の「ひとり」の歌とは、少し趣が違います。

ただ、この人たちは、不遇で孤独だったというよりも、やはり自ら選び取った孤独をであった気がします。

抱擁をしらざる胸の深碧(ふかみどり)ただ一連に雁(かりがね)わたる
――富小路禎子

富小路は元華族の家柄に生まれ、戦後家は没落。

父と二人暮らしの後、未婚のままでした。

 

かたはらに置くまぼろしの椅子ひとつあくがれて待つ夜もなし今は
――大西民子

大西民子は離婚後、妹と暮らしていたが、ただ一人の肉親であった妹さんを亡くされました。

この歌は妹さんのことではないかもしれませんが、この作者の代表作です。

 

たましひをつつみてひとり臥すときを秋吹く風の眼とあひにけり
――小中英之

小中は男性の歌人。

持病のあった作者は両親と暮らしていましたが、両親は他界。

結婚はされませんでしたが、歌の師はあり、歌会にも出席されていたので、歌仲間との接点はあった、と思うと読んでいる方も、少し気が楽になります。

作者が孤独であったということと、短歌の間に何か関りはあるのか…それは同日の短歌時評に「『歌は人』でいいのか」と松村正直さんが書いていたことと重なってくることかもしれませんが、それはまた後日考えることにいたしましょう。

 

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