「山川異域 風月同天」の漢詩が話題となっています。
中国に贈った支援物資に添えたものが、中国のSNSで広まり、称賛を受けました。
1300年前に鑑真和尚を日本に呼び寄せたというこの漢詩はどのような意味なのか、誰がなぜ送ったのか、漢詩の内容と経緯についてお知らせします。
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「山川異域 風月同天」の漢詩が話題に
山川異域の漢詩、話題になった部分は次のものです。
山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁
この漢詩が、中国に贈った荷物に添えられていたのです。
下に画像があります。
武漢への日本支援物資に貼られた文字は中国で話題になっている。天宝元年、日本僧の栄叡と普照が鑑真のもとを訪れ、受戒システムがない日本仏教を救うために誰かを派遣してほしいと懇願したと同時に仏国を目指した長屋王が唐に贈った袈裟千枚の話を聞く。「山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁」。 pic.twitter.com/EUlFXgB1CX
— 毛丹青 (@maodanqing) January 31, 2020
「山川異域 風月同天」の意味
この漢詩の前文と意味と読み方は下の通りです。
「山川異域」の日本語訳
山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁
訳文: 中国と日本には同じ山川はない。しかしながら風も月も同じものだ。まことにこれ仏法興隆に、有縁の国なり
山川異域の読み方
読み方は、下のようになります。
さんせんいきヲことニスレドモ
ふうげつてんヲおなジウス
これヲぶっしニよス
ともニらいえんヲむすバン
カタカナの部分は、「送り仮名といい、漢字以外の文字を日本語で訓読するときのために補ったものです。
漢字の右下に歴史的仮名遣いの小さなカタカナで表記されます。
「山川異域」は鑑真に贈られた漢詩
この漢詩を最初に贈られた人はというと、奈良市の世界遺産、唐招提寺を創建した鑑真(がんじん)和尚です。
鑑真(がんじん)和尚中国の唐の時代に、日本に渡ってきた僧侶です。
鑑真はどのような状況で、この詩を受け取ったのでしょうか。
漢詩「山川異域」の作者と経緯
約1300年前、天武天皇の孫、長屋王(ながやおう/ ながやのおおきみ)が、中国に袈裟を送りました。
袈裟というのは、お坊さんの着る僧衣のことです。
そこに、刺繍がされているのを、受け取った鑑真が気が付いたそうです。
その刺繍の文字が、『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』でした。
鑑真は、それを見て、日本は仏教が盛んで仏縁のある国と感じ(中略)招きに応じる決意を表したというのです。
「山川異域 風月同天」の「住む場所は異なろうとも、風月の営みは同じ空の下でつながっている」というところが、鑑真の胸に響いたと伝わっています。
作者は今回はっきり示されてはいませんが、長屋王自身か、日本側の誰かが書いたものと思われます。
この袈裟は、もちろん残ってはいないわけですが、それについて、鑑真自身が
「(日本から贈られた)袈裟の縁には四句を刺しゅうして『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』と記してあった。この古事より日本は仏教が盛んで仏縁のある国と感じ(中略)招きに応じる決意を表した」
と記したものがあるので、この事実が残っていると思われます。
6回目の航海で日本へ来た鑑真
それから鑑真は、日本への渡航を決意、6回の困難な航海の途中で視力を失いながらも、6度目で日本への渡来を果たしたことは、広く知られています。
鑑真は唐招提寺を建設。世界遺産として、多くの人が日々訪れる場所となっています。
「山川異域」を記したのは日本青少年育成協会
それでは、今回、この文字を中国への支援物資に記したのは誰だったのでしょうか。
日本の中国大使館へ、中国本土へ送ってもらおうと、様々な企業や団体が支援物資を寄付しました。
寄付の中身の多くは衣料品です。マスクや手袋のほか、医療現場で不足している防護服約15万着、防護メガネ約7万5千個に加え、CT検査の設備、体温計、消毒液などです。
その荷物の一つに、この文字を記したのは、、中国語検定「HSK」の事務局を務める日本青少年育成協会。
1月下旬から湖北省内の大学などに送り始めたということで、これまでの荷物にはすべてそのように記しているということです。
中国で称賛
これに対して、中国では大きな反響があり、最初のツイート「『山川異域、風月同天』と書かれたラベルに感動」とのメッセージ付きで写真をアップしたところ、現地のユーザーから31万件を超える「いいね」が寄せられたということです。
日本青少年育成協会インタビュー
同協会の本田恵三事務局長(58)は
「今の私たちの気持ちを伝えるのに、ふさわしい言葉だと思った」
この言葉を書き入れたのは、同協会国際交流委員会の林隆樹委員長とされています。
林委員長は
「支援物資は、マスク約2万個と体温計約30個です。日中の間には、もちろん不幸な歴史もありましたが、美しい友好の永い歴史もあったのです。日中交流のシンボルとも言えるのが、鑑真の来日です。長屋王が詠んだ詩の一節をとおして、日中友好の歴史を思い出していただきたいと思い、支援物資の段ボール箱の貼紙に記載しました」
とインタビューに答えています。
終わりに
鑑真和尚が1300年も前に受け取った日本からの漢詩の手紙、それが今でも日本と中国の心をつないでいるのですね。
中国の方々も頑張ってください。皆でいたわり合いながら、困難を乗り切りましょう。