久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 作者は古今和歌集撰者の一人、紀友則。
この和歌は、滅びゆくものへの愛惜と、命のはかなさを歌って、百人一首の中でも秀歌としてほまれ高い作品です。
現代語訳と句切れ、語句を解説、鑑賞します。
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久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
読み:ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらん
現代語訳と意味
日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花は散っていくのだろうか
作者と出典
紀友則 古今和歌集春下・84 百人一首33
句切れと文法
・句切れなし
・「ひさかたの」は春にかかる枕詞。和歌の修辞技法のひとつ
※枕詞については
枕詞とは その意味と主要20の和歌の用例
・ひさかた―ひかり―ひに の「ひ」の音の重なりに注意 ※以下に詳しく解説
・しづこころ・・・静かな心。落ち着いた気持ちの意味。名詞
・花・・・桜の花を指す
・らむ・・・未来・原因推量の助動詞 ※以下に詳しく解説
「ひさかたの」「らむ」の追記
この歌の語句について、さらに詳しい解説を参考として記します。
「ひさかたの」について
「ひさかたの」は、本来、天・雲・空・月などにかかる枕詞ですが、「光」にかかった例はこの歌くらいで、例外的といえます。
他に「源氏物語」に
ひさかたの光に近き名のみしてあさゆふ霧もはれぬ山里
があり、この二首のみが「光」にかかるものとなっています。
おそらく「ひさかたの-ひかり」として、「ひ」の音、続く「春」でハ行の音を重ねるのが目的であったからかもしれません。
「らむ」
「らむ」は原因推量を表す助動詞だが、「もっとゆっくり散らないで咲いてくれればいいのに」という願望もt込められています。
またこの部分に、華やかな花の様子と並列しながら、ほのかな倦怠と諦観も感じられる表現となっています。
「久方の光のどけき」紀友則作の解説
作者は紀貫之 古今集2-84と百人一首の33番目の歌となっている有名な和歌です。
特に百人一首においては、秀歌としてほまれ高いものとなっています。
愛惜と無常観がテーマ
春ののどかな気分と、あわただしく散っていく桜、静と動とを対比させるという優れた手法で、花が散るのを愛惜するこころが存分に表現されています。
「ひ」の連続
「ひさかた―ひかり―ひに」と「ひ」の音を重ねた、平明な調べで、桜の花に語り掛けるように歌い始めて、そのあとの「しづ心なく花の散るらむ」部分が散る花への愛惜です。
花の美しさ、春ののどかさだけではなく、消えゆくものへの追慕という心情がこの歌の主題です。
「命のはかなさ」の無常感
愛惜と追慕の他に、もう一つが、この歌に漂う無常感です。
万葉集でも古今集においても、花に無常を想う主題はそれまではありませんでした。
この歌においても、それが直接的に表現されているわけではありませんで、以前は詩の美しさを極めた歌として秀歌にあげられていました。
しかし、中世になると、桜の花がはかなく散るというイメージが、この歌よりも、人々の心の中に浸透していきました。
それと共に、この歌も単なる花の有様を詠んだ歌ではなく、それを見て感じる作者の心に、人々が無常感を重ねて読むようになったのです。
読む人の心の移り変わりによって、歌に見えるものや解釈が違ってくるという、一つの大切な例と思われます。
紀友則の歌人解説
紀 友則(き の とものり)
生年は承和12年(845年)ごろとされる
平安時代前期の官人・歌人。宮内権少輔・紀有友(有朋)の子。官位は六位・大内記。三十六歌仙の一人。
紀友則の他の和歌
色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(古今57)
雪ふれば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし(古今337)
東路のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ(古今594)