石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし 石川啄木『一握の砂』の短歌代表作品にわかりやすい現代語訳をつけました。
歌の中の語や文法、句切れや表現技法と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。
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己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし
読み:
いしをもて おわるるごとく ふるさとを いでしかなしみ きゆるときなし
現代語訳と意味
石を投げられて、追い出されるように、故郷を出てきた悲しみは消えることがない
句切れ
・句切れなし
語句と表現技法
一首の言葉と表現や文法について解説します。
「石をもて」について
・石をもて・・・「もて」は 「…をもて」の形で格助詞的に用いられ、手段・方法・材料などを表す。
・意味は「…で …でもって」
・漢字は「以て」
ごとく
・助動詞「ごとし」の連用形
「何々のようで」の意味
出し
・読みは「いでし」
・「し」は過去の助動詞「き」の連用形
消ゆる
・動詞の基本形「消ゆ」の連用形
解説と鑑賞
写真は石川啄木の故郷の岩手山。
「石をもて」の背景
一首は、故郷を出ざるを得なかった石川啄木の悲しみを表す内容の短歌。
「石を投げられて」の主語は、故郷渋民村の村人たちであって、それらの村人から追い出されるように、啄木の一家が故郷を出てきた、と表現している。
「石をもて追わるるごとく」というのは、本当に故郷の人が石を投げたわけではなく、「ごとく」(~ように)であるから、「あたかも石を投げられたかのように」という意味。
実際に「追わるる」は、まず啄木の父が、職場を追われて、村を出たこと、そして、渋民村に戻って教員になった啄木が、校長から免職されて、北海道へ移ったことの両方を指すと思われる。
啄木が故郷を離れた理由
上記のように、啄木とその家族が渋民村を離れたのは2回ある。
一回目は、啄木自身ではなくて、啄木の両親が故郷を出なければならなかったこと。
住職をしていた啄木の父が、岩手県渋民村をの檀家との間にトラブルが起こって、寺の住職をやめることになったという事情がある。
両親は寺を出て還俗、盛岡市に居を構えて、当時東京に住んでおり、詩集を刊行したばかりの啄木を、恋人であった節子との結婚のために呼び寄せた。
しかし、盛岡では身を立てられず、啄木は結局一家を連れて渋民村に帰郷、そこで故郷の教員になったのだった。
そのかみの神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
というのは、その心境を表した歌で、いったん渋民村に戻ってきた時の歌である。
啄木は渋民村を離れて函館へ
故郷渋民村に戻ってきたものの、教員の薄給では、結局啄木一家の生活は成り立たたず、とうとう一家は離散して、啄木は妻子を妻の実家に預けて函館に一人移転した。
この時、啄木が教員を辞職した理由は、校長排斥のストライキを扇動したためであり、啄木は同様の離職を何度か経験するが、いずれも勤め先とのトラブルと言える。
しかし、この歌の「追わるるごとく」とは、やはり、長年住職を務めた父が、復帰を願いながら果たせなかったことだろう。
村人には父の復職を推す派と反対派があったという。啄木よりも、まず、啄木の父が、それらの状況と一家の貧窮とに耐えられず家出をしたために、啄木は村の仕打ちに憤って、さらに、自分自身の免職も重なって離村を決意したのであった。
その折、北海道に映ったのは、啄木と妹との二人であった。啄木はこの妹について
朝はやく婚期を過ぎし妹の恋文めける文を読めりけり
との歌を記している。
一家の没落はあまりに悲しく、父や啄木に故郷を離れた責任の一端があるとはいえ、故郷を出た彼らには、死ぬまで貧困がつきまとった。
そして、そのような苦境にさらに、啄木の文学上の挫折が、短歌となって結実することになったのが、この『一握の砂』ということになる。
悲しい啄木の一家の末路ではあったが、啄木の作品は、今に至るまで愛唱されている。