『一握の砂』石川啄木の全作品に現代語訳と解説を付けました。
『一握の砂』は石川啄木の第一歌集、5章に分かれており、この記事では『一握の砂』の最も最初の章「我を愛する歌」の部分の全作品を取り上げます。
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『一握の砂』石川啄木
『一握の砂』石川啄木の全作品に現代語訳と解説を付けました。
この記事は、歌集『一握の砂』の一番最初の章「我を愛する歌」の全作品です。
歌集全体をざっと読み通したい時にご利用ください。
『一握の砂』の代表的作品については、個別ページにて既に詳しい解説をつけていますので、そちらをお読みください。他の章はこの後追加します。
『一握の砂』石川啄木の代表作8首と30首
コンパクトな解説については、代表作品8首と30首のページがあります。
『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首
現代語訳については、あくまで短歌の原文を鑑賞する助けとなるものです。短歌は基本的に現代語や散文への置き換えはできないものですので、その目的でご利用ください。
『一握の砂』 序文
『一握の砂』冒頭に石川啄木が記した序文を現代語訳、解説します。
まずは原文です。
函館なる郁雨宮崎大四郎君
同国の友文学士花明金田一京助君
この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。
また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。
明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇きをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。
『一握の砂』序文の解説
宮崎郁雨は歌人、言語学者の金田一京助は共に石川啄木の親しい友人です。
友人との関わり
宮崎は啄木が北海道に単身で新聞記者を務めていた時、主に家族の面倒を見たほどの仲でした。
金田一は啄木が上京した折、啄木に部屋を世話するなど尽力をして、啄木を支えたようです。
長男の逝去
この年に生まれた啄木の長男、真一は生まれながらにして病弱だったと言われ、生後わずか27日目にして急死。
真一の名前は、新聞社入社の恩人である佐藤北江の本名を取って付けられました。
「我を愛する歌」『一握の砂』第一章
ここから以下は、『一握の砂』より「我を愛する歌」部分の本文とその現代語訳、必要な部分には短い解説を付記します。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
現代語訳:
東海(とうかい)の小島(こじま)にある小さな磯、その中の砂地の上において、私は泣きながら蟹とたわむれている
詳しい解説:
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる/石川啄木/意味と句切れ
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
現代語訳:
頬につたう涙をぬぐわずそのままに、一握(ひとにぎ)りの砂を示した人を忘れない
詳しい解説:
頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず/石川啄木
大海にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにき
現代語訳:
大海に向かって一人だけ、7、8日、泣こうとして家を出てきたのであった
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
現代語訳:
ひどく錆びたピストルが出た。砂山の砂を指で掘っていたところに
ひと夜さに嵐来りて築きたる
この砂山は
何の墓ぞも
現代語訳:
一晩の間に嵐が来て、砂が盛り上がったこの砂山は、何の墓だろうか
砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
現代語訳:
砂山の砂に腹ばいになると、初恋の胸の痛みが遠く思い出される日だ
この歌の詳しい解説
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日/石川啄木/意味と句切れ
砂山の裾によこたはる流木に
あたり見まはし
物言ひてみる
現代語訳:
砂山の麓に横たわる流木に、あたりをそっと見まわしてから、話しかけてみる
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
現代語訳:
命の無い砂の悲しさよ。さらさらと音を立てて、握る指の間から落ちる
この歌の詳しい解説
いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指の間より落つ/石川啄木/意味と句切れ
しっとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
現代語訳:
しっとりと涙を吸う砂の玉、涙は重いものでもあるのだなあ
大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
現代語訳:
「大」という文字を百も砂の上に書いて、死ぬことをやめて帰ってきた
大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり 石川啄木/意味と句切れ
目さまして猶起き出でぬ児の癖は
かなしき癖ぞ
母よ咎むな
現代語訳:
目を覚ましてもなおぐずぐずと床の中から起き出さない、子どもの時の癖は悲しい癖であるよ。母よ、咎めないでおくれ
ひと塊の土に涎し
泣く母の肖顔つくりぬ
かなしくもあるか
現代語訳:
一塊の土の上に涎を落としながら、泣く母の肖像を作った。かなしくもあるだろうか
燈影なき室に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出づ
現代語訳:
明かりのない暗い部屋に私が一人でいる。すると父と母が壁の中から杖を突いて出てきた
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
現代語訳:
ふざけて母を負ぶってみて、あまりに軽いので泣いてしまい、三歩と歩けなかった
詳しい解説は下の記事に
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 石川啄木短歌解説
飄然と家を出でては
飄然と帰りし癖よ
友はわらへど
現代語訳:
飄然と家を出ては、また飄然と帰る私の癖よ。友は笑うのだが
ふるさとの父の咳する度に斯く
咳の出づるや
病めばはかなし
現代語訳:
ふるさとの父が咳するたびに、このように咳が出るものかと思ったものだ。病気というのははかないものだ
わが泣くを少女等きかば
病犬の
月に吠ゆるに似たりといふらむ
現代語訳:
私がむせび泣くのを少女たちが効けば、病気の犬が月に向かって吠えるのに似ているというだろうなあ
何処やらむかすかに虫のなくごとき
こころ細さを
今日もおぼゆる
現代語訳:
どこからか、かすかに虫が鳴くような、そんな心細さを今日も覚えるのだ
いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
現代語訳:
うんと暗い穴に心を吸われていくように思って 、疲れ果てて眠るのだ
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ
現代語訳:
気持ちよく働ける仕事が私にもあってほしいものだ。仕事をやり遂げてから死のうと思う
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ
現代語訳:
人で混み合って混雑する電車の隅に縮こまっている 、毎日の夕方の自分の愛しさ
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
現代語訳:
浅草の夜の人の賑わいに、人に紛れて入ってみてはまた人に紛れて出てくる寂しい心であるよ
愛犬の耳斬りてみぬ
あはれこれも
物に倦みたる心にかあらむ
現代語訳:
愛犬の耳を切ってみた。ああこれも、ものに飽きて疲れた心であるだろう
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
現代語訳:
鏡を取って出来る限りのさまざまの顔をしてみた。泣くのに飽きた時
なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて洗へば心戯けたくなれり
現代語訳:
涙涙、涙とは不思議なものだなあ。それをもって洗ったようになった心がふざけたくなった
呆れたる母の言葉に
気がつけば
茶碗を箸もて敲きてありき
現代語訳:
呆れるべき母の言葉に気がつけば、思わず箸で茶碗を叩いていたのだった
草に臥て
おもふことなし
わが額に糞して鳥は空に遊べり
現代語訳:
草に寝て思うことは何もない。私の額に糞をして鳥は空に遊んでいる
わが髭の
下向く癖がいきどほろし
このごろ憎き男に似たれば
現代語訳:
私のひげの下を向く癖が腹立たしい。この頃憎らしいと思う男に似てきたので
森の奥より銃声聞ゆ
あはれあはれ
自ら死ぬる音のよろしさ
現代語訳:
森の中より銃声が聞こえる。ああ、自分を殺めて死ぬその音の美しいこと
大木の幹に耳あて
小半日
堅き皮をばむしりてありき
現代語訳:
大木の幹に耳を当てて半日ばかり、木の硬い皮をむしっていたのであった
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答
現代語訳:
「こればかりのことに死ぬのか、こればかりのことに生きるのか」よせよせ問答
まれにある
この平なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴く
現代語訳:
たまにある、このような穏やかで平らな心には、時計の鳴る音も楽しく聞こえる
ふと深き怖れを覚え
ぢっとして
やがて静かに臍をまさぐる
現代語訳:
ふと深い恐れを感じて、身をじっとして、それからやがて静かにへそをいじってみる
高山のいただきに登り
なにがなしに帽子をふりて
下り来しかな
現代語訳:
高い山の頂上に上って、これということはないが帽子を振って降りてきたのであった
何処やらに沢山の人があらそひて
鬮引くごとし
われも引きたし
現代語訳:
どこかに たくさんの人が争ってくじを引いているようだ。私も引きたい
怒る時
かならずひとつ鉢を割り
九百九十九割りて死なまし
現代語訳:
怒っている時必ず一つ茶碗を割って、九百九十九の茶碗を割って死ねたらよいのに
解説
「まし」は反実仮想の助動詞
いつも逢ふ電車の中の小男の
稜ある眼
このごろ気になる
現代語訳:
いつも電車ので見かける小男の、鋭い目つきがこの頃気になるようになった
解説
「かど」は「角」の他に「才」と書いて「かど」と詠む言葉がある。
かど 【才】名詞才能。才気。見る価値のあるところ。見所。趣。
鏡屋の前に来て
ふと驚きぬ
見すぼらしげに歩むものかも
現代語訳:
鏡屋の前に切っていくと驚いた。自分は何とみすぼらし気に歩くものだろう
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下りしに
ゆくところなし
現代語訳:
なんとなく汽車に乗りたく思っただけで、汽車を降りても行くところがない
空家に入り
煙草のみたることありき
あはれただ一人居たきばかりに
現代語訳:
空き家に入ってタバコを飲んだことがあった。ああ、ただ一人で居たかっただけで
解説
「あはれ」は「ああ」と訳す。間投詞。
何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり
現代語訳:
用もないのに寂しくなれば出て歩く男となって、3ヶ月が過ぎた
やはらかに積れる雪に
熱てる頬を埋むるごとき
恋してみたし
現代語訳:
柔らかく積もった雪に上気して火照った頬を埋めるような恋がしてみたい
かなしきは
飽くなき利己の一念を
持てあましたる男にありけり
現代語訳:
悲しいのは、この私自身が、いつまでも利己の一念を持て余した男であったことだ。
手も足も
室いっぱいに投げ出して
やがて静かに起きかへるかな
現代語訳:
手も足も部屋いっぱいに投げ出して、やがて静かに起き上がったのであったよ
百年の長き眠りの覚めしごと
あくびしてまし
思ふことなしに
現代語訳:
百年の長き眠りの覚めたようにあくびすればよかっただろうに。何の思うことなしに
解説
「百年」ももとせ は、数字の百年という意味ではなく、長い長い間の意味
「まし」は[連語]《完了の助動詞「つ」の未然形+推量の助動詞「まし」》
腕拱みて
このごろ思ふ
大いなる敵目の前に躍り出でよと
現代語訳:
腕を組んでこの頃思う。大きな偉大な敵が目の前に躍り出て来いよと。
手が白く
且つ大なりき
非凡なる人といはるる男に会ひしに
現代語訳:
手が白く、そして大きいのであった。非凡なる人と言われている男に会った時
こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ
現代語訳:
気持ちよく人を褒めてみたくなった。利己の心にある寂しさを持て余したので
わが家の人誰も誰も沈める顔す
雨霽れよかし
現代語訳:
雨が降ると私の家の人が誰も皆、歪んだ顔をする。雨よ晴れてくれよ
高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか
現代語訳:
高い所より飛び降りるような心を持って、この一生を終わる方法はないだろうか
この日頃
ひそかに胸にやどりたる悔あり
われを笑はしめざり
現代語訳:
この日頃、ひそかに私の胸に宿る悔いがある。それがあるため私は笑えないのだ
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき
現代語訳:
へつらうことを聞けば腹が立つ私の心。あまりにも自分を知るがゆえに悲しいのだ
知らぬ家たたき起して
遁げ来るがおもしろかりし
昔の恋しさ
現代語訳:
知らない人の家の扉をドンドンと叩いて、住む人を叩き起こして逃げてくるのが面白かった。そんな昔の無邪気な日が恋しい
非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ
現代語訳:
非凡なる人のように振る舞った後の寂しさは、何にたとえようもないほど寂しいものだ
大いなる彼の身体が
憎かりき
その前にゆきて物を言ふ時
現代語訳:
大きく偉大に見える彼の体が憎かったのだった。その前に行って話をしようとするときに
実務には役に立たざるうた人と
我を見る人に
金借りにけり
現代語訳:
実務には役に立たない詩人であると私を見る人にお金を借りた
遠くより笛の音きこゆ
うなだれてある故やらむ
なみだ流るる
現代語訳:
遠くから笛の音が聞こえる。私が項垂れているからだろう、涙が流れる
それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲しくなりたり
現代語訳:
それも良いこれも良いとしていられる人のその気軽さを、自分も欲しくなった
死ぬことを
持薬をのむがごとくにも我はおもへり
心いためば
現代語訳:
死ぬことを、持っている薬を飲むことのように手軽に思う。
生きているとあまりにも心が痛むので
路傍に犬ながながとあくびしぬ
われも真似しぬ
うらやましさに
(注:「あくび」は漢字)
現代語訳:
道端に犬が長々とあくびをしていた。羨ましくなって私もその犬の真似をしてみた。
真剣になりて竹もて犬を撃つ
小児の顔を
よしと思へり
現代語訳:
真剣になって竹の棒で犬を打とうとする子供の表情を見て良いと思った
ダイナモの
重き唸りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし
現代語訳:
ダイナモの重い唸る音の気持ちの良いことよ。このように物が言えたなら良かったのに
剽軽の性なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり
現代語訳:
ひょうきんな性分であった友の死に顔にあった、青い疲れの跡が今も目に残っている
気の変る人に仕へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
現代語訳:
気の変わる人に支えて、つくづくとこの世の中が嫌になってしまったのだったなあ
消えゆく煙
見れば飽かなく
現代語訳:
龍のように、空しい空に躍り出て消えていく煙を見ていても飽きることがない
息もつかず
仕事をしたる後のこの疲れ
現代語訳:
気持ちの良い疲れであるなあ。息もつかずに仕事をした後の粉の疲れは
空寝入生あくび
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため
現代語訳:
空寝や生あくびなどなぜするのだろう。考えてみると、思うことを人に悟らせないためだ
箸止めてふっと思ひぬ
やうやくに
世のならはしに慣れにけるかな
現代語訳:
箸を止めてふと思うに、ようやくに世のならわしというものに慣れてきたのであったなあ
朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける文を読めりけり
現代語訳:
朝早く、結婚の時期を過ぎた妹の、恋文めいた手紙を読んだ
しっとりと
水を吸ひたる海綿の
重さに似たる心地おぼゆる
現代語訳:
しっとりと水を吸った綿の重さに似たような心持を覚える
死ね死ねと己を怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ
現代語訳:
死ね死ねと自分を怒ったのち、黙り込んでしまう心の底の暗い虚しさ
けものめく顔あり口をあけたてす
とのみ見てゐぬ
人の語るを
現代語訳:
獣のような顔があって、口を開けたり閉じたりしていると、それだけを思いながら見ていた。人の話しているのを
親と子と
はなればなれの心もて静かに対ふ
気まづきや何ぞ
現代語訳:
親と子と離れ離れの心を持って静かに向かい合っている時のこの気まずさはなんと言うべきだろう
かの船の
かの航海の船客の一人にてありき
死にかねたるは
現代語訳:
ある船のある航海の、船客の一人であったようなものだった。死にかねたということは
目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
現代語訳:
目の前の菓子の皿などをカリカリとかんでみたくなった。もどかしい思いに
よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ
現代語訳:
よく笑う若い男である私が死んでしまったならば、少しはこの世も寂しいと思う人もいてくれよ
詳しい解説:
よく笑ふ若き男の死にたらばすこしはこの世さびしくもなれ 石川啄木
何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原などを
現代語訳:
理由なく息が切れるまで駆け出してみたくなった。草原などを
あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる
現代語訳:
新しい背広などを着て旅をしよう。そのように今年も思うだけで過ぎてしまった
ことさらに燈火を消して
まぢまぢと思ひてゐしは
わけもなきこと
現代語訳:
殊更に明かりを消してみても、まじまじと思っていることは、そうたいしたことでもないつまらないことだ
浅草の凌雲閣のいただきに
腕組みし日の
長き日記かな
現代語訳:
浅草の凌雲閣の頂上に腕を組んで立った日の長き日記よ
尋常のおどけならむや
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔その顔
現代語訳:
普通の種類のおどけではない。ナイフを持って死ぬ真似をするその顔とくれば
こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る
現代語訳:
こそこそとしていた話がやがて声が高くなり、ピストルが鳴って人生が終わる。人生とはそのようなものだ
時ありて
子供のやうにたはむれす
恋ある人のなさぬ業かな
現代語訳:
時間があって子供のように戯れてみる。恋している人ならしないことだな
とかくして家を出づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ
現代語訳:
色々あって家を出てきてみれば、日光が温かく息を深く吸う
つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし
現代語訳:
疲れている牛の涎はたらたらと、まるで千万年も尽きないものであるかのようだ
路傍の切石の上に
腕拱みて
空を見上ぐる男ありたり
現代語訳:
道端の切り石の上に腕を組んで空を見上げる男があった
何やらむ
穏かならぬ目付して
鶴嘴を打つ群を見てゐる
現代語訳:
なんだろう、穏やかでない目つきをして鶴橋を打つ人達、その群れを見ている
心より今日は逃げ去れり
病ある獣のごとき
不平逃げ去れり
現代語訳:
心から今日は逃げ去ってしまった。病気の獣のような不平が逃げ去ってしまった
おほどかの心来れり
あるくにも
腹に力のたまるがごとし
現代語訳:
おおらかな心が私にやってきた。歩くにも腹に力のたまるような心地がする
ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋の夜具のこころよさかな
現代語訳:
ただ一人泣きたいがために来て、寝ている宿屋の布団の快いことよ
友よさは
乞食の卑しさ厭ふなかれ
餓ゑたる時は我も爾りき
現代語訳:
友よ、そんなに乞食の卑しさを嫌わないでくれ。飢えている時は私もそうだから
新しきインクのにほひ
栓抜けば
餓ゑたる腹に沁むがかなしも
現代語訳:
新しいインクのにおいが、インク瓶の栓を抜けば、飢えた腹にしみるのように悲しいものだ
かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒の夜具にちぢこまる時
現代語訳:
悲しいのは喉の渇きをこらえながら、夜寒い布団に縮こまる時だ
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
現代語訳:
一度でも私に頭を下げさせた人はみんな死ねよと祈ったことがある
我に似し友の二人よ
一人は死に
一人は牢を出でて今病む
現代語訳:
私に似た友の二人よ。一人は死んで一人は牢屋を出て、一人は今病んでいる
あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ
現代語訳:
余りある才能を抱いて妻のために、思い悩んで友を悲しく思う
打明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ
現代語訳:
打ち明けて語ったことが、何か損をしたようにも思えて友と別れてきた
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
現代語訳:
どんよりと曇った空を見ていて、ふと人を殺したくなったのであった
人並の才に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな
現代語訳:
人並みの際に過ぎない友人の深い不平不満もあわれなものだ
誰が見てもとりどころなき男来て
威張りて帰りぬ
かなしくもあるか
現代語訳:
誰が見ても目だってよいところのない男が来て、威張って帰って行った。悲しいことではないか
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
現代語訳:
働いても働いてもなお私の暮らしは楽にならない。じっと手を見る
この歌についての詳しい解説
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る/石川啄木/意味と句切れ
何もかも行末の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも
現代語訳:
何もかも結末が分かって見えるような、この悲しみはなくなることがないなあ
とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ切に金を欲りせり
現代語訳:
ある日ふと、酒を飲みたくてならなくなるように、今日私はしきりにお金が欲しくなった
水晶の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何の心ぞ
現代語訳:
水晶の玉を喜んで弄ぶ私のこの心は、なにゆえだろうか
事もなく
且つこころよく肥えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな
現代語訳:
苦労することなく気持ちよく太っていく私のこの頃も、何か物足りない気持ちだ
大いなる水晶の玉を
ひとつ欲し
それにむかひて物を思はむ
現代語訳:
大きな水晶の玉を一つ欲しい。それに向かって物を思い巡らすために
うぬ惚るる友に
合槌うちてゐぬ
施与をするごとき心に
現代語訳:
自惚れている友人に相槌を打っている。あたかも施しをするような思いで
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ
現代語訳:
ある朝の悲しい夢から覚める際に、鼻に入ってきた味噌を煮る香りよ
こつこつと空地に石をきざむ音
耳につき来ぬ
家に入るまで
現代語訳:
コツコツと空き地に石を刻む音が、家に入るまで耳についてきた
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし
現代語訳:
理由なく頭の中に崖があって、毎日土が崩れていくようだ
遠方に電話の鈴の鳴るごとく
今日も耳鳴る
かなしき日かな
現代語訳:
遠くに電話のベルが鳴るように今日も耳鳴りがする悲しい日であるよ
垢じみし袷の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃焼くるにほひす
現代語訳:
垢で汚れた着物の襟よ。悲しいことに、それが故郷のくるみを焼く臭いに似ているのだ
死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖き顔する
現代語訳:
死にたくてならない時があって、便所で一人の時に人目を避けて怖い顔をする
一隊の兵を見送りて
かなしかり
何ぞ彼等のうれひ無げなる
現代語訳:
兵隊の列を見送って悲しかった。彼らは何も憂いがなさそうで
邦人の顔たへがたく卑しげに
目にうつる日なり
家にこもらむ
現代語訳:
人の顔が我慢できないくらい卑しそうに目に映る日だ。家にこもっていよう
思ひすごしぬ
三年このかた
現代語訳:
この次の休日に1日寝て過ごそうと思って過ぎてしまった。この3年間
或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭に似たりと思ひけるかな
現代語訳:
ある時の自分の心を焼きたてのパンに入っていると思ったのであった
たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ
現代語訳:
たんたらたらたんたらたらと、雨垂れの音が、痛む頭に響く悲しさ
ある日のこと
室の障子をはりかへぬ
その日はそれにて心なごみき
現代語訳:
ある日、部屋の障子を張り替えた。その日はそれだけで心が和んだ
かうしては居られずと思ひ
立ちにしが
戸外に馬の嘶きしまで
現代語訳:
こうしてはいられないと思って立ってみたが、外には馬のいななき声が聞こえただけだ
気ぬけして廊下に立ちぬ
あららかに扉を推せしに
すぐ開きしかば
現代語訳:
気抜けして廊下に立った。 乱暴にドアを開けたらそうするまでもなくすぐ開いたので
解説
「あららかに」は、「あらあらしく」の意
ぢっとして
黒はた赤のインク吸ひ
堅くかわける海綿を見る
現代語訳:
じっとして、そこにあるだけで静かに黒、また赤のインクを吸う固く乾いた海綿を見る
解説
「はた」は、「さらにまた。そのうえまた」の意味の副詞
誰が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕
現代語訳:
誰が見ても私を懐かしくなるような、そんな長い手紙を書きたい夕方だ
飲めば身体が水のごと透きとほるてふ
薬はなきか
現代語訳:
飲めば体が薄緑色の水のように透き通るというような薬はないだろうか
いつも睨むラムプに飽きて
三日ばかり
蝋燭の火にしたしめるかな
現代語訳:
いつも睨むランプに飽きてしまい、この3日ばかり蝋燭の火にしてなじむまで過ごしたのだなあ
人間のつかはぬ言葉
ひょっとして
われのみ知れるごとく思ふ日
現代語訳:
人間の使わない言葉というのがあるとしたら、ひょっとして私だけが知っているかのように思う日だ
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日もさまよひて来ぬ
現代語訳:
心を新しくしてみようと。名前も知らない街などを今日も彷徨ってきた
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
現代語訳:
友人が皆私よりもえらく見える日、そんな日は花を買ってきて妻に親しみ、その寂しさをまぎらわすことだ
詳しい解説:
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ/石川啄木/意味と句切れ
何すれば
此処に我ありや
時にかく打驚きて室を眺むる
現代語訳:
何をどうしたので、ここに私があるのだろうか。時々ひどく驚いて部屋を眺める
人ありて電車のなかに唾を吐く
それにも
心いたまむとしき
現代語訳:
電車の中に唾を吐く人がいて、それにも心が傷ついたのであった
夜明けまであそびてくらす場所が欲し
家をおもへば
こころ冷たし
現代語訳:
夜明けまで遊んで暮らせる場所が欲しい。家を思えば心が寒々とする
人みなが家を持つてふかなしみよ
墓に入るごとく
かへりて眠る
現代語訳:
人がみな家を持つという悲しみよ。墓に入るように家に帰って眠るのだ
何かひとつ不思議を示し
人みなのおどろくひまに
消えむと思ふ
現代語訳:
何か一つ不思議を示して人が、みんな驚く間に消えようと思うのだ
人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ
現代語訳:
どの人の心にも皆一人ずつ囚人がいて、そのとらわれの心に呻くそのような悲しさがある
叱られて
わっと泣き出す子供心
その心にもなりてみたきかな
現代語訳:
叱られてわっと泣き出す子供の心、その心にもなってみたい
盗むてふことさへ悪しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ家もなし
現代語訳:
盗むということさえも悪いとは思えない 心が悲しい。その上に、その心を休ませる隠れ家もない
よわき男の
感ずる日なり
現代語訳:
一人家を出された女のような悲しみを、私も弱い男となって感じる日なのだ
庭石に
はたと時計をなげうてる
昔のわれの怒りいとしも
現代語訳:
庭石に ぱしっと時計を投げてぶつけた昔の自分の怒りが愛しい
顔あかめ怒りしことが
あくる日は
さほどにもなきをさびしがるかな
現代語訳:
顔を赤くしてまで怒ったことが次の日には大したことでもなかったことを寂しがったのであったなあ
いざいざ
すこしあくびなどせむ
(注:「あくび」は漢字)
現代語訳:
しきりに苛立とうとする心よ。お前は悲しいのだな。よしよし、少しあくびなどしてみよう
女あり
わがいひつけに背かじと心を砕く
見ればかなしも
現代語訳:
女がいる。私の言いつけに背かないようにと、心を砕いているのを見ると悲しい
ふがひなき
わが日の本の女等を
秋雨の夜にののしりしかな
現代語訳:
不甲斐ない日本のわが女たちを、秋雨の降る夜に罵ったのであったな
男とうまれ男と交り
負けてをり
かるがゆゑにや秋が身に沁む
現代語訳:
男と生れ、男と混じって負けている。そのためにが身にしみるのだ
解説
かるがゆゑに=(斯〈カ〉有るが故に)の約で、「だから」の意。
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
現代語訳:
私が抱く思想というのは、全て金がないことに原因があるようだ。秋の風が吹いている
くだらない小説を書きてよろこべる
男憐れなり
初秋の風
現代語訳:
くだらない小説を書いて喜んでいる男が哀れである。初秋の風が吹く
今日よりは彼のふやけたる男に
口を利かじと思ふ
現代語訳:
秋の風が吹く今日よりは、あのふやけた男に口をきかないでいようと思う
はても見えぬ
真直の街をあゆむごとき
こころを今日は持ちえたるかな
現代語訳:
ゆく果ても見えないまっすぐの街を歩くように、心を今日は保っていられそうだ
いそがしく
暮らせし一日を忘れじと思ふ
現代語訳:
何事も思い悩むことなく、忙しく暮らした1日を忘れないでいようと思う
何事も金金とわらひ
すこし経て
またも俄かに不平つのり来
現代語訳:
何事も所詮、金の問題に過ぎないよと笑い飛ばすのだが、また少しするとすぐに不平が募ってくるのである
誰そ我に
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
現代語訳:
誰か私をピストルで撃ってくれないだろうか。伊藤のように華々しく死んで見せてみよう
解説
伊藤博文の暗殺のこと。1909年、ハルビン駅でピストルで暗殺された。
やとばかり
桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
秋の夜の二時
現代語訳:
それっとばかり、桂首相に手を取られた夢を見て目が覚めた、秋の夜の2時のこと
解説
「やとばかり」は「や」「とばかり」。「や」は掛け声。
桂首相は当時の総理大臣。石川啄木は、新聞社に勤務経験があるため、このようなニュースも耳に入ったのだろう。『一握の砂』石川啄木の全作品に現代語訳と解説を付けました。
のだろう。
以上石川啄木の『一握の砂』より「我を愛する歌」の現代語訳でした。