短歌・和歌

露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 豊臣秀吉【日めくり短歌】

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露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢

8月18日は、豊臣秀吉の亡くなった日、「太閤忌」。

豊臣秀吉が自ら詠んだ、辞世の短歌をご紹介します。

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露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢

作者:豊臣秀吉

 

豊臣秀吉の命日「太閤忌」

8月18日は、豊臣秀吉の亡くなった日、太閤忌と呼ばれています。

上の短歌は、豊臣秀吉の辞世の歌として伝えられているものです。

一首の意味

「浪速」は大阪の古語。今でも使われる言葉ですね。

一首の意味は、

露のように落ちて、露のように消えてしまった私の身であるよ。

自分が支配した天下の大阪の栄華も、今となってはみな、夢のようにはかないものだ

というものです。

 

豊臣秀吉の死因

豊臣秀吉は享年63歳。何で亡くなったのかというと、昔のことなので、様々な説があるようです。

脳梅毒、大腸癌、疫痢、腎虚などが推測されるものとしてあがっていますが、昔の62歳なので、十分に老人と言えますし、長生きした方だと思います。

織田信長や石田三成など、同じ時代の人は、皆、戦国時代の戦いで亡くなっていますので、それに比べたら、大往生とも言えるのではないでしょうか。

 

豊臣秀吉の他の短歌

他にも豊臣秀吉が詠んだ歌として伝わっているものは

忍びつつ霞と共にながめしもあらはれにけり花の木のもと

意味は

「霞に隠れるように眺めていたのですが、霧が晴れて姿が現れたので、気づかれてしまったなあ。桜の木の下に」

 

二首目は、富士山を見た時の歌で、

都にて聞きしはことの数ならで雲ゐに高き不二の嶺の雪

意味は、

都に伝え聞いていたこととは比べようもないほど、雲のかかる高さの富士山の嶺の雪だ

「雲ゐ」は、「雲のある所」の意味で、初めて見た富士山の高さに驚いた様子です。

豊臣秀吉の短歌評

歌人の川田順は、豊臣秀吉の歌について、高く評価しています。

「太閤の歌は太閤の歌なり。所詮は檀那芸なるも、ただの檀那芸にはあらず。往々にして光彩を放つ。文法にかなひたるのみの当年の堂上派月並歌に比すれば勿論、信玄や元就の如き歌名ある武将に比するも立優れること一段なり」―『戦国時代和歌集』川田順編

 

きょうの日めくり短歌は、豊臣秀吉の命日「太閤忌」にちなむ、豊臣秀吉自身の辞世の短歌をご紹介しました。

それではまた明日!

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