蝶を夢む 萩原朔太郎  

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蝶を夢む 萩原朔太郎

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萩原朔太郎の誕生日は、11月1日。「朔」の字は一日の意味で、誕生日にちなんで名づけられました。

萩原朔太郎の詩作品より「蝶を夢む」について、鑑賞と感想を記します。

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萩原朔太郎について

萩原朔太郎は、1886年、明治19年。群馬県前橋市生まれ。

11月1日生まれのため、(「朔」の字は一日を指す)、朔太郎と命名された。

父親は開業医で地元の名士とされたが、朔太郎は神経質かつ病弱で孤独癖があり、学業に打ち込めず、落第や退学を重ねた。

北原白秋、室生犀星などと交流し、詩人として出発。高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。三好達治は弟子。

孫に萩原朔美、娘は作家の萩原葉子。

 

 

蝶を夢む 萩原朔太郎

      蝶を夢む

座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼(はね)をひろげる
蝶のちひさな 醜い顔とその長い触手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寝床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。

夢をみながら わたしは幼な児のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な児の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な児の感情が
とほい水辺のうすらあかりを恋するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。

あたらしい座敷のなかで 蝶が翼をひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼をふるはしてゐる。

朔太郎の詩に買った蝶の図鑑

思い出すと、高校生の時、私は蝶の図鑑を買ったのだった。もちろん、朔太郎の上の詩を読んだからだ。

その頃私は息をするたび自分の肋骨の中に、蝶が羽を開いたり閉じたりするような感じを持ってひとりで暮らしていた。

一人で暮らしていると、会話は音楽だった。言葉は詩だった。

本は自宅に置いてきてしまっていた。持っているのは朔太郎の詩集、そしてその蝶の図鑑、抱えているものはそれだけだった。

でもそれで十分だった。なぜならその図鑑の中には、たくさんの蝶が映っていたから。
考えられないほど様々な色合いの羽を思い思いに広げて。

あれほど贅沢な図鑑はそのあとも見たことはない。それらは私の青春の断片だった。




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