空海 弘法大師のいろは歌についてと空海を詠んだ短歌  

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空海 弘法大師のいろは歌についてと空海を詠んだ短歌

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空海の忌日は4月22日、空海の短歌は、「いろは歌」の他はほとんど伝えられたものはないようです。

また、いろは歌も、空海の作品とするのは言い伝えで、作者は別にいるとも言われています。

きょうの日めくり短歌は空海のいろは歌について、空海像を詠んだ斎藤茂吉の短歌をあわせてご紹介します。

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空海=弘法大師とは

空海(774年- 835年)は中国で修業をし真言密教を日本にもたらした僧侶です。

真言宗の開祖で、別名、弘法大師(こうぼうだいし)とも呼ばれています。弘法大師は、醍醐天皇から送られた諡号です。

「弘法にも筆の誤り」

空海は能書家、つまり時のたいへん上手な人として知られており、「弘法にも筆の誤り」のことわざの元となっている「弘法」も空海のことです。

門に掲げる看板の文字を間違えてしまったため、下から筆を投げて点を書き加えたというエピソードが有名です。

 

いろは歌と空海

古くから知られる「いろは歌」、「いろはにほへと…」の始まりで作られる歌ですが、これは、空海の作ったものといわれてきました。

いろは歌とは

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

いろは歌とは、50音全部を重複させることなく、75調で作られた歌です。

50音を使う、75調の制約の中で、意味の整った大変優れた歌なので、これが頭脳の優れた空海の作品だと思われても不思議ではありません。

ただし、それは言い伝えであって、実際の作者は同時代の僧侶ではなかったかと言われています。

いろは歌の現代語訳と意味

いろは歌の意味は、下のようなものです。

現代語訳:
花は咲いても散ってしまい、人の誰もが同じ姿でいようか、永遠に同じ姿でこの世に居続ける人もない。

つらく・きびしい人の世の山を今日も一つ乗り越えて、酔って真理から目を背け、はかない夢を見ないように

 

空海の起こした真言宗のお寺の解説ですと、

「無常である人生を一生懸命生きて、年を取ってもそれぞれの色がついた「自分の花」を咲かせて、喜びにあふれた満開の人生を送ってほしいという願いが込められている」―https://ninnaji.jp/news/sermon-apr/

とのことです。

 

斎藤茂吉の詠んだ空海像の短歌

斎藤茂吉は、高野山にある空海の像を短歌に詠んでいます。

空海のまだ若かりし像を見てわれ去りかねき今のうつつに

歌集『ともしび』より

 

空海の四十二歳の像こそ見欲しかりけれ年ふりにけり

歌集『たかはら』より

正岡子規の空海関連の短歌

弘法を埋(うず)めし山に風は吹けどとこしへにてらす法(のり)のともし火

作者:正岡子規

この「山」は高野山のこと。

昭和5年のアララギの歌会である安居会(あんごえ)は、高野山で開かれました。

空海の開いた高野山は、今では世界遺産として定められています。

きょうの日めくり短歌は、空海の忌日にちなみ、空海のいろは歌と空海像を詠んだ斎藤茂吉の短歌他をご紹介しました。

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