教科書の短歌

いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす 正岡子規

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いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす

正岡子規の代表作ともいわれる有名な短歌にわかりやすい現代語訳を付けました。

各歌の句切れや表現技法、文法の解説と、鑑賞のポイントを記します。

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いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす

読み:いちはつの はなさきいでで わがめには ことしばかりの はるいかんとす

作者と出典

正岡子規 『墨汁一滴』

現代語訳

いちはつの花が咲き出したが、私にとっては見るのが今年だけの春が過ぎようとしている

句切れと表現技法

句切れなし

文法と語句の解説

いちはつアヤメ科アヤメ属の多年草
さきいでて咲く+出(い)づ の複合動詞 意味は「咲き出す」に同じ
わが目私の目
今年ばかりの「ばかり」の意味は「この範囲、程度のもの・こと」と限定するのに使う
例:「少しばかり」
春いかんとす以下に記載

 

春いかんとすの品詞分解

・「春」のあとには、「は」または「の」が省略されている。この文節の主語は春。

・いかん…基本形と漢字は「行く」 意味は「過ぎる。経過する。」
「ん」…未来の助動詞「む」 ※本来の表記は「む」だが、ここでは「ん」が用いられている

・とす…助動詞「む(ん)」の終止形 格助詞「と」 サ変動詞「す」の終止形
意味は「…とする」

 

解説

正岡子規の『墨汁一滴』に「しひて筆をとりて」と詞書した十首のうちの一首。

いずれの歌も、花や植物の持つ時期に照らして、みずからの命の短さを詠う。

結核で病臥の正岡子規

正岡子規は結核に罹患、下半身の神経に支障が生じて、歩行が困難となっており、ほぼ寝たきりの状態で日々を過ごしていた。

植物をスケッチするのが楽しみであったため、庭には多くの植物が植えられ、鑑賞が可能なようになっていた。

いちはつは、あやめに似た春の花で、その花を見て、自らの命が今年限りであることを、「今年ばかりの春」として、歌に詠み込んでいる。

さらに、自分固有のこととして、「我が目には」と強調をしているが、いちはつは球根で育つため、来年も再来年も同じ場所で咲くのが常だが、植物と対照させて、自分は来年はそれを見られないかもしれないとの悟りを表す。

一首の構成

上2句は、花の開いた情景をそのまま読み、3句「我が目には」に、大きな転換がある。

上2句は、いちはつの花が主語だが、「我が目」に主体が移り、下句には「我が」につながる特有の条件が盛り込まれる。

花の開花に対照させて、自らの命の短さと、短いが故の、目に映るものの美しさが際立つ心情が表される。

結句の春という季節の移り変わりは、また、作者には悲しい時の移り変わりである。

「いかんとす」の未来を含んだ結句に哀しみがより極まって感じられる。

 

一連の歌 10首

この歌を含む一連は、いずれも短い命の作者が春を惜しむ気持ちにあふれている。

  佐保神の別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに

いちはつの花咲き出でて我が目には今年ばかりの春暮れんとす

病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花の見れば悲しも

世の中は常なきものと我が愛づる山吹の花散りにけるかも

別れゆく春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我がいのちかも

くれなゐの薔薇ふふみ我が病いやまさるべき時のしるしに

薩摩下駄足にとりはき杖つきて萩の芽つみし昔思はゆ

若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり

いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を撒かしむ

 

正岡子規の短歌代表作はこちらの記事に

正岡子規の短歌代表作10首 写生を提唱







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