教科書の俳句

バスを待ち大路の春をうたがはず 石田波郷 作者の心情と表現の特徴 

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バスを待ち大路の春をうたがはず

石田波郷の教科書掲載の俳句、作者が感動したところや心情を解説・鑑賞します。

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バスを待ち大路の春をうたがはず

読み:ばすをまち おおじのはるを うたがわず

作者と出典:

石田波郷

現代語訳

バスを待っている間に眺める大きな通りに春の気配が疑いなく満ちている

句切れと切れ字

句切れなし

切れ字なし

季語

季語は「春」

形式

有季定型

 

解説

石田波郷の教科書掲載の俳句。

作者が春の到来を感じた、その時の時の様子を詠んでいる

作者の感動の中心

この歌の主題は、春の情景ではなくて、その中にいた作者の胸の内に芽生えた確信の方にある。

それを表すのが「うたがはず」であるが、どのようなところに春を感じる根拠があったのか、例えば、芽吹きとか暖かさなどの事物は一切示されていない。

「大路」とは

作者はバスを待って景色を眺めるともなく眺めていたのだろう。

「大路」とは、大きな通りであって、辺りが広い範囲で見渡すことができる。

春を感じる心

そして、不意に季節が到来するかのように、作者の胸に「春だ」という思いがやってくるが、それは理屈ではなく、直観のようなものである。

屋外の広い空間にあって、作者が確実に春を感じた、その不思議な心の動きがこの句の表すところである。

季節を感じる人間の微細なこころ、また、季節という事象に対しての人の不思議ともいえる呼応が描かれている。

「大路の」の「の」の助詞について

2句目は「大路の春」(大路の迎えている春)となっているが、「大路に春を」(大路において感じた春)と比べられたい。

「大路の春」は言ってみれば「大路の迎えている春」。「大路に春を」なら、(「に」は「で」と同じ)「大路において感じた春」となるだろうが、作者は、前者の助詞「の」を用いている。

私自身の感想

上の句「バスを待ち大路」に、作者の置かれたその時の情景がよくわかります。

また、春らしい風景は何も描かれていないのに、作者の「うたがはず」と強く言い切る確信によって、私にも同じ春を感じる思いが生まれてきます。

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石田波郷について

いしだ‐はきょう【石田波郷】
俳人。愛媛県松山市の生まれ。本名、哲大(てつお)。昭和八年(一九三三)、「馬酔木(あしび)」(主宰水原秋桜子)の同人。昭和一二年、石塚友二らと「鶴」を創刊、主宰となる。中村草田男・加藤楸邨らと共に人間探求派と呼ばれ、特に結核との闘病生活を詠んだ句集「惜命(しゃくみょう)」は大きな反響を呼んだ。出典:百科事典マイペディア「石田波郷」の解説







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