短歌と哲学 ニーチェとショーペンハウエル 哲学的な短歌とは  

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短歌と哲学 ニーチェとショーペンハウエル 哲学的な短歌とは

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「哲学の日」、きょうは、ソクラテスの忌日であるところから、記念日が制定されています。

思索を深めるとともに、哲学とかかわりの深い短歌、また「哲学的な短歌」とはどういうものかを考えながらご紹介します。

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哲学と短歌

きょうは、ソクラテスの命日で哲学の日。

斎藤茂吉には、哲学者とその名前を詠み込んだ短歌が何首かあります。

あやしみて人はおもふな年老いしショーペンハウエル笛ふきしかど

斎藤茂吉が52歳の時に詠んだ歌。

ショーペンハウエルは老年になって、フルートを吹くのを趣味としていたようです。

偉大な哲学者ですが、その趣味をおかしいというなといって、偉大な人のささやかな楽しみを肯定する内容です。

この歌について詳しく

あやしみて人はおもふな年老いしシヨオペンハウエル笛ふきしかど 斎藤茂吉『白桃』

 

とりよろふ青野(あをぬ)を越えてあゆみつつ神(かみ)死(し)したりといひし人はも

こちらはニーチェを詠った歌。

「神は死んだ」といったニーチェを詠ったもの。

「とりよろふ」は、草木が美しく茂るの意味で、孤独なニーチェの姿が浮かび上がります。

他に、ニーチェの言葉を引用した歌が、下の

汗いでてなほめざめゐる夜は暗し現は深し蠅の飛ぶ音

これには、注に「ニイチェは”Die Welt ist tief"と謂へり」との説明がある。

「ツァラトゥストラ」第三部「踊の歌」に「深き夢より我は覚めたり。--世界は深し。白日のみるより悲し。其悲は深し」という部分があるそうです。

その「世界は深し」を、「夜は暗し」の現実的なことと並べて、「現は深し」と表しています。

 

哲学的な短歌

斎藤茂吉の”哲学的な”歌は、たくさんあると思いますが、まず思い浮かぶのが下の歌

冨みたると貧しきと福(さいはひ)と苦しみとかたみにありとひともうべなふ

 

お手伝い、当時は女中と呼ばれましたが、その部屋にふと入ってみた時に詠んだ歌。

貧と冨とが隣り合って一つの家の中にあることを見た作者が、それもまた人の一つのありようとして、「ひともうべなふ」と終えています。

他に

「暴富の家にはぐくまれたる一青年が「貧」の遊びを今日も為したり」もやや似ていますが、こちらはマルクス主義下の実話を詠んだもの。

五郎劇にいでくるほどのモラールも日の要約のひとつならむか

ゲーテに題材をとった森鴎外の「汝の義務を果たさむと試みよ。やがて汝の勝ちを知らむ。汝の義務とは日の要求なり」を元にした歌。

 

現(うつつ)にて無理とほすときとどのつまりは生命(いのち)のことに至りゆかむぞ

作者自身の詠活を顧みて、観照を述べた歌。

作者自身は

無理だ無理だといいつつ無理しどおしの暮しであるが、どんなに言ったところで、一番どん底は「死」に至るまでの話ではないか、というようなことを、「生命(いのち)のことに至りゆかむぞ」と言った。―『作家四十年』

と説明しています。

こうしてみていると、「哲学的」と言える短歌は、やや理屈が多くなるため、いわゆる良い歌とはいえないかもしれません。

ただし、たくさん並べた一連の歌の中では、このような歌がはアクセントの一つとなっています。

きょうの、日めくり短歌は「哲学の日」にちなみ、哲学にちなむ斎藤茂吉の短歌と、”哲学的な歌”を探してみました。

それではまた!

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