うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火  

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うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火

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うしろ姿のしぐれてゆくか 種田山頭火の代表作の自由律俳句の意味と情景、句切れと季語の解説を記します。

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うしろすがたのしぐれてゆくか

読み:うしろすがたの しぐれてゆくか

作者と出典:

種田山頭火

現代語訳

私の後ろ姿も冬の雨に降られているのだろうか

句切れと切れ字

句切れなし

切れ字なし

結句の「か」は疑問の助詞

季語

自由律俳句なので季語は意識されていない

ただし、従来の俳句なら 「しぐるる(時雨るる)」は「時雨」に分類される冬の季語

表現技法

自由律俳句

形式

無季自由律

五七五の定型によらない字数を自由に設定する俳句の形式

自由律俳句とは

自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる。文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多いのも特徴― 出典:「自由律俳句」wikipedia フリー百科事典

 
 

解説

放浪の俳人として知られる、種田山頭火の旅先の俳句。

昭和6年12月31日の日記、文章と俳句の記録『行乞記』の末尾に記された一連13句中の1句。

この句の前に「自嘲」との記載がある。

一連に「右近の橘の実のしぐれつつ」「大樟も私も犬もしぐれつつ」とあることから、冬のさなか、冷たい雨に降られたことがわかる。

語句の解説

「うしろすがた」は漢字で書けば「後ろ姿」で、自らの後ろ姿を想像してこのように言った。

「しぐれていくか」の「しぐれ」は冬の雨のこと。

「しぐれていく」は、「しぐれ」の動詞で、基本形「しぐる」。

意味は、時雨、冬の雨が降る。

ちなみに、他にも「しぐる」には、通り雨のニュアンスや、「涙を催す。涙を落とす」の意味もある。

俳句の情景

自らの後ろ姿に冬の曇った空から雨が降りかかるような、惨めでわびしい有様を想像した。

この俳句の背景

山頭火は修行をする僧侶、雲水の格好をして、身の回りの最低限の所持品しか持たず「行脚」の目的で全国を放浪した。

僧侶とはいっても格好で風呂にも入れず、髪やひげは伸びて薄汚ない格好となっていたに違いない。

この俳句の意味

そのような姿で、外を歩きながら冬の雨に濡れている事自体がわびしいことだが、それを「うしろすがた」として自分の姿を遠目に俯瞰している。

後ろ姿は自分では見ることがないため、これは他人の視線を借りた、自らの姿の想像であり注視である。

自分の袖や見下ろす足、着物の身頃は冷たい雨に濡れていることが自分でわかる。

しかし、自分には見えない後ろ姿、それもまた人が見れば濡れているのだろう。

雨に濡れないように身をかがめ、破れた着物の背の穴にも雨がにじんでおり、前も後ろも全身が濡れている。

自分では見えないが、人が見ればことさらに惨めな姿であるだろう。

そのような想像から自嘲が描かれている。

他のしぐれの句

山頭火の他の「しぐれ」の句を見てみると、

波の音しぐれて暗し
食べてゐるおべんたうもしぐれて
しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ
夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
夜半の雨がトタン屋根をたゝいていつた
しぐるゝや旅の支那さんいつしよに寝てゐる
けふもしぐれて落ちつく場所がない

「しぐれ」は気候の状態の他、自分でないものが雨に濡れる様子や音として表されている。

つまり、波や弁当、牛などが対象であるが、この句では他ならない、目には見えないはずの自分の姿が意識の上で詠まれている。

山頭火の生活

山頭火は元々酒で身を持ち崩して、行く先で托鉢や喜捨によって、食物や金銭をもらいながら暮らしていたので、僧侶になることが本来の望みではなかった。いわば無目的な旅であった。

しかし、またそうして徒歩で俗世を離れた生活をすることで、今度こそ酒を絶とうとしていたようだ。

この句が詠まれた日には、

行乞相も行乞果もあまりよくなかつた、恥づべし恥づべし。
昨夜は優遇されたので、つい飲み過ごしたから、今夜は慎しんで、落ちついて読書した。

と前日の様子が記されている。

また、

(中略)私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新らしい人間として新らしい生活を初めるのである。

と、この年の暮の決意を述べている。

私自身のこの俳句の感想

「うしろすがたの」は誰か他の人の後ろ姿だとも思えそうですが、結句「しぐれていくか」の「か」で、「後ろ姿も濡れているのだろうか」となり、自分のことなのだとわかります。酒造業の失敗で家がなくなり、妻子も離婚、自身の酒癖で人望もなくして行脚に出るしかなく追い詰められた山頭火。
似た経歴の俳人に尾崎放哉がいますが、それにしても、ある種の破綻者を支えた周囲の人達がいたことも驚かされます。さらに俳句が彼らの大きな支えとなっていたことも間違いありません。人が生きる意味を改めて思わされます。

種田山頭火について

種田山頭火は1882年(明治15年)12月3日、山口県防府市生まれ。

尾崎放哉と並ぶ、自由律俳句の俳人です。

大地主・種田家の長男として生まれますが、11歳の頃の母が投身自殺。

早稲田大学に入学、家業の酒造業が失敗。妻子を離縁しますが、生活を悪化させたものに酒癖と精神不安定があったようです。

ついに、定住を捨て、正業にもつかず寺男となり、雲水姿で放浪生活をして句を詠む生活で生きながらえました。

句の数は生涯で8万句友いわれています。

種田山頭火の有名な俳句

まつすぐな道でさみしい

ほろほろほろびゆくわたくしの秋

うしろすがたのしぐれてゆくか

どうしようもない私が歩いている

生まれた家はあとかたもないほうたる

また見ることもない山が遠ざかる

鉄鉢の中へも霰

おちついて死ねそうな草萌ゆる




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