ペパーミントの日に読む斎藤茂吉の薄荷の短歌  

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ペパーミントの日に読む斎藤茂吉の薄荷の短歌

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ペパーミントは 香りの爽やかな植物の一種、 日本語では 薄荷と呼ばれています。

今日の日めくり 短歌は ペパーミントの日にちなみ、 薄荷詠んだ斎藤茂吉の短歌をご紹介します。

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ペパーミントの日とは

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ペパーミントの日は、ハッカ(ペパーミント)が特産品の北海道北見市まちづくり研究会が1987年(昭和62年)に制定したものです。

6月はこの月の北海道の爽やかさがハッカそのものであることから。20日は「はっか(20日)」と読む語呂合わせから、6月20日は ペパーミントの日と決められました。

北海道と薄荷

北海道の北見市は ペパーミントの代表的な産地で、昭和14年の全盛期には、当時世界のハッカ市場の約70%を占めており、北見市で栽培される作物の代表的なものといえます。

斎藤茂吉の薄荷の短歌

斎藤茂吉の歌集『のぼり路』の短歌に薄荷を詠んだ短歌があります。

薄荷蒸す日和(ひより)つづきを楽しむと北ぐによりの便は今日も

初句の「薄荷蒸す」というのは、ハッカーを蒸留して香り成分を凝縮する油を取る工程を言います。

今の商品名で ペパーミントオイルというのがわかりやすいと思いますね。

これは ペパーミントの加工の様子を手紙で伝え聞いたものですが、おそらく北海道に住んでいた次兄富太郎からの便りにあったものでしょう。

北海道旅行の薄荷の短歌

後に斎藤茂吉 は後に北海道に住む兄を訪ねて薄荷畑の様子を歌に呼んでいます。

かはかみの小畑にまで薄荷うゑてかすかに人は住みつきにけり

日は入りて薄荷畑に石灰をまきつつをりし人もかへりぬ

ふもとまであをあをしたる薄荷畑のうへにいつしかも白雲の見ゆ

斎藤茂吉 が訪れたのは北海道の志文内の中川町 というところです。

昭和7年8月のことでした。

旅行の目的

そこに 拓殖医として移り住んで医師を務めていた兄の守谷富太郎を訪ねるためでした。

北海道旅行には弟の高橋四郎兵衛も同行。

17年ぶりに 兄の富太郎と再会をするという思い出深い旅行になったのです。

関連記事:
斎藤茂吉の兄弟を詠んだ短歌 北海道で医師の富太郎と再会

中川町の薄荷栽培の様子

斉藤茂吉 の薄荷の歌から、当時 中川町でも薄荷が栽培されていたことがわかります。

かはかみの小畑にまで薄荷うゑてかすかに人は住みつきにけり

遠い北国の地で1本でも多く 植物を植え育てようとする人びと。

そして人気の少ない自然の厳しい広大な大地に住む人の様子を、「かすかに人は住みつきにけり」と端的に表しています。

短い表現なのですが、「かすかに」「住みつきにけり」というのが入植を表していることがわかります。

兄富太郎の短歌

当時の中川町はの山間部は電気も通っておらず、夜はランプを灯して過ごしていたことが兄富太郎の短歌からもわかります。

電燈もなき山奥に住みつきてランプをともし八年過ぎぬる

斎藤茂吉の兄を詠む短歌

この地に暮らす兄のことも、薄荷を育てる人々に用いたのと同じ「かすか」という言葉を用いて詠んでいます。

かすかなるもののごとくにわが兄は北ぐにに老いぬ尊かりけり

便利な土地を離れた遠いところで懸命に開拓に生きる人々とそれを守る兄。

薄荷の香りの爽やかさが「かすかに」と共鳴する 歌として、当時の生活の様子を伝えているのです。

斎藤茂吉の歌碑がある記念公園


中川町を斎藤茂吉が訪れた記念に 、茂吉小公園という公園と歌碑が建設されています。

公園があるこの場所は、兄富太郎が勤めていた志文内診療所の跡地です。

刻まれている歌は

さよなかと夜は過ぎつつ志文内の山のうへ照らす月のかげの静けさ

遠いところなのでなかなか訪れられる場所ではありませんが、それだけに斎藤茂吉の訪問を喜んで建てられた尊い歌碑に思えます。

茂吉小公園場所

今日の日めくり短歌はペパーミントの日にちなみ、斎藤茂吉の薄荷の歌とエピソードをご紹介しました。

それではまた!

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