暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月 和泉式部  

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暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月 和泉式部

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暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月

和泉式部の有名な和歌、現代語訳と句切れや修辞法の解説と鑑賞を記します。

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暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月

読み:くらきより くらきみちにぞ いりぬべき はるかにてらせ やまのはのつき

作者

和泉式部 いずみしきぶ

出典

拾遺集 巻二十 哀傷

現代語訳と意味

暗いところから、またいっそう暗い道に入っていく。山の端に出ている月のように、はるか遠くまで光を照らしてください

解説と鑑賞

詞書に「性空上人のもとに、よみてつかはしける」とあり、上人に救いを求める歌。

意訳をすれば

「煩悩の暗闇からまた悩みの闇へと迷いこみそうな私を上人様どうぞお導きください」

の意味となるだろう。

鴨長明が『無名抄』の中で、この歌を彼女の代表歌としている。

拾遺集に「雅致女式部」の名で唯一首入選した歌がこの歌である。

詞書

「播磨のひじりのおもとに、結縁のためにきこえし」

という詞書がある。

播磨(はりま)の聖とは性空上人(しょうくうしょうにん)をいう。

結縁の読みは「けちえん」。

世の人が仏法と縁を結ぶことをいう。

『法華経』のことば

「暗きより暗き道に」は『法華経』のことばで、煩悩から煩悩へと仏の救いを知らずさまようことを指す。

「山の端の月」は仏教の「真如の月」のことで、衆生を救い導く仏教の真理の力を求めている。

夜の暗い道に照る月の光のように、進むべき道をはるか遠くまで照らしてくださいとの上人への呼びかけを表す。

作者の心境

作者が20代の時の歌とされているが、歌の背景はよく知られていないものの、恋愛で迷う心から解き放たれたいと思ったことがあったのかもしれないと推察される。

恋愛の苦しみは和歌では誇張されていることも多く、歌の上でのポーズと考えられる作品も多いのだが、「暗きより」の仏典の引用はレ内の苦しみを「煩悩」として自己を超えた力によってそこから救われることを祈る気持ちがうかがえる。

この和歌の評価

和歌の修辞や技巧は全くなく、仏典の引用もそのままそれとわかる引用で本歌取りのような凝ったものでもない。

この歌を、「俊頼髄脳」で和泉式部のもう一つの歌「津の国」と比べて、後者を優れているとするのは、引用そのままで技巧の工夫がないという観点からであろう。

一方で、この歌を代表歌とする鴨長明の方は技巧よりも、ある種の真実味を評価したと思われる。

「俊頼髄脳」は和歌の教科書として書かれたためもあると思われるが、両者の和歌に対する考え方と優劣のつけ方の違いがわかる点も面白いものがある。

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