「われもはや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり」。
結婚の喜びを詠った、万葉集の有名な和歌、歌の意味と現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説、鑑賞します。
スポンサーリンク
読み:われはもや やすみこえたり みなひとのえかてにすとう やすみこえたり
作者と出典
藤原鎌足(ふじわらのかまたり) 巻2 95
歌の意味
「私は安見児を得た 皆の者が得難いとしている安見児を得た」
語の解説
- もや・・・詠嘆・感動の助詞 「まあ」「まことに」など
- 得る・・・わがものにすること
- とふ・・・「という」伝聞
安見児の歌 一首の背景
藤原鎌足が天皇の女官の采女(うねめ)の中から、とびきり美しかった安見児をめとることができた、その喜びを詠んだ歌とされていました。
通常なら天皇の女官を娶るということはできなかったそうですが、藤原鎌足はまだ中臣鎌足(なかとみのかまたり)を名乗っていた時に大化の改新で参謀となって活躍したので、当時の天智天皇は特例として采女との結婚を認めたということです。
また別な説では、天皇よりそのように権力を認められたということを、知らしめようとした歌であるとも言われています。
斎藤茂吉の「万葉秀歌」より解説
斎藤茂吉は、万葉秀歌でこの歌を取り上げ、下のように解説しています。
この歌は単純で明快で、濁った技巧がないので、この直截性が読者の心に響いたので従来も秀歌として取り扱われてきた。(中略)この歌は集中佳作の一つであるが、今日に乗じて一気に表出したという種類のもので、沈潜重厚の作というわけにはいかない。
いずれにしても作者が歓喜して得意になって歌っているのが、率直な表現によって、特に第二句と第五句で同じ語句を繰り返しているところに表れている。
松崎たかし「愛のメモリー」成立の背景
意外にもこの和歌は、松崎しげるさんの「愛のメモリー」という歌のインスピレーションの元になったというエピソードがあります。
作詞は、たかたかしさん。スペインのマジョルカ島で開かれた、マジョルカ音楽祭に参加するために作った書下ろしの歌だったそうです。
最初は、スペインだから「情熱的なラブソングにしたい」という希望で、まずは馬飼野康二さんに作曲を依頼。
出来上がった曲をもって、たかたかしさんに依頼した、という順番だそうです。
「メロ先」でできた「愛のメモリー」
音楽用語では、曲を先に作って、後からメロディーをつけるものを「メロ先」と言います。
今はほとんどの歌謡曲をはその順番で、作詞家さんにとっては案外大変そうです。
ところが、メロ先に加えて、さらに締め切りは翌日だった、つまり、作詞の方は一日で作ってくれ、との依頼だったそうなのです。
それでたかさんが、最初にサビだけを作ろうと計画を立てた。
最初から順番に組み立てていくというのではなくて、サビを先に作るというのがプロっぽいところですが、その打ち合わせから帰って、家に帰ってふと手に取ったのが万葉集だったということなのです。
それは何の短歌だったのか。ここまで読んでいても全然予想はつかなかったのですが、その歌は、次のものでした。
「愛のメモリー」との対照
話を再び前に戻すと、愛のメモリーのサビは
美しい人生よ かぎりない喜びよ
この胸のときめきを あなたに
この世に大切なのは 愛し合うことだけと
あなたはおしえてくれる (作詞たかたかし)
というものですね。
万葉集との関連性よりも、これまでに何度か詩に曲をつけたことなのある私には、メロ先でこれを後付けしたとは全く思えない。その作詞の技術の方に驚いてしまいますが。
「愛の--」の方は、これも全く考えたことがなかったのですが、歌詞の前半を見ると、素敵な女性と最初の一夜を共にした、その朝の気持ちを詠ったものなのですね。
「安見児」の方は、どんな場面かは考えたことがなく、せいぜい天皇の許しが出た、その折の心境のようにも思っていました。
しかし、「愛の」と対照すると、たかさんが「安見児」の率直な有頂天さに、女性との直接的な触れ合いを想定したというところが、いささか意外でもあり、それも十分納得できるものだとも思わされました。
終りに
万葉集の時代の恋愛は開放的であり、原始的でもあります。
原作の良さを見落とさないためには、今よりもずっと素朴だった人々の心に還りながら読んでみる、その心構えが何より大切かもしれませんね。