結婚の短歌で有名な作品にはどんなものがあるでしょうか。
歌人が自分が結婚するときに詠んだ短歌、家族や知人の短歌と合わせてご紹介します。
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結婚の短歌
結婚は人生でも重要なイベントの一つです。
短歌では結婚を祝う「祝婚歌」といわれる歌群もありますね。
歌人が自分自身の結婚を詠んだ歌を、近代短歌から現代短歌まで思い出せるものをあげてみます。
春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり
作者:土岐善麿(ときぜんまろ)
土岐善麿の有名な歌です。
母と隣り合って眠ろうとするとき、明かりの中ではなく、暗がりの中で、心に思っている女性の名前を母に言うという場面を詠んだ美しい歌です。
結婚かどうかは歌の中にはありませんが、古い時代のことで、母に告げるということは結婚を考えているという前提であると思われます。
「ともしび消して」には作者のはにかみ、初々しい気持ちが伝わります。
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
作者:前田夕暮
結婚が決まって、相手が嫁いでくるのを数えながら待っているのですが、ポイントは下の句です。
「なかなか遠くもあるかな」に実感がこもっています。
身はすでに私(わたくし)ならずとおもひつつ涙おちたりまさに愛(かな)しく
作者:中村憲吉
結婚が決まった作者、これからは「私一人だけの私ではない」そのような心境に至ったときに、思わず涙が出てしまった。妻が愛しくて、というような意味でしょうか。
「わたつ海(み)の後の岩野かげにして妻に言(の)らせる母のこゑすも」も、妻の初々しさを思わせる良い歌です。
この一連は、中村憲吉の短歌でよく知られている有名なものです。
中村憲吉の結婚や家庭は、同期の他の歌人の中でも、最も幸せなものであったと伝えられています。
あかつきをひさしく覚めて涙うかぶ友の誰よりもわれは幸あり
作者:柴生田稔
アララギ派の歌人の作品。作者は、母親を早く失くしており、結婚に際しての思いもひとしおであったのでしょう。
妻と子との家族を持ちましたが、後には孤独の思いや家族との距離感を詠ったものもみられます。
添い遂げむ一生と決めし夜の道にゑのころ草に月照りにけり
作者:小谷稔
この人を妻にしようと決めたその夜の情景を詠っています。
「大根の花白々と瓶にありこの夜を経なば汝はわが妻」も印象的な歌です。
わが家の見知らぬ人となるために水甕抱けり胸いたきまで
作者:寺山修司
「見知らぬ人」というのは、新しく来た人という意味なのでしょうか。
「水甕を抱く」というのは、一つの象徴なのですが、美しい、絵画的な描写です。
君の歌うクロッカスの歌も新しき家具のひとつに数えんとする
これもやはり、同じ作者の結婚後の同居を始めた時の感慨を詠ったものだと考えられます。
他に「乾葡萄喉より舌へかみもどし父となりたしあるときふいに」というのもあります。
実際は寺山は子供は持ちませんでした。
嫁(ゆ)く吾れに多くやさしき心づけの集りし夜の菊の静けさ
作者:馬場あき子『早笛』
昭和30年代の歌集だそうで、まだまだ人々が貧しい時代に、自分の結婚を祝う人たちがお祝いをくれた、その感慨を詠ったものです。
今は若い人の結婚は会費制になり、このような光景や心情も過去のものになりつつあります。
そもそもが「嫁ぐ」という言葉が死語となるでしょう。
我が為に花嫁の化粧(けはひ)する汝を襖の奧に置きて涙出づ
作者:葛原繁
結婚式を目の前に控えた作者、花嫁の化粧や衣装を自分のために装ってくれていると受け取り、その場を離れて涙を流すというところです。
着物の着付けは長い時間がかかりますので、それをそっと見に行かれたのでしょうね。花嫁が美しく装うこと、それも感慨の一つなのですね。
斎藤茂吉の祝婚歌三首
斎藤茂吉は結婚のお祝いの歌をたびたび頼まれて作っています。
水のへにかぎろひの立つ春の日の君が心づまいよよ清しく
あわ雪のながれふる夜のさ夜ふけてつま問ふ君を我は嬉しむ
きぞの夜に足らひ降りけむ春の雪つまが手とりてその雪ふます
それぞれの歌の意味
一首目、水の上に、ゆらゆらと陽炎が立つ、あたたかで光うららかな春、その日にお会いした君の許嫁、フィアンセは、光の中にたいそうすがすがしいみめ麗しい方よ、ということでしょうか。
二首目は、淡雪の流れるように降る日の夜更けて、結婚をする君を私はうれしく思います。
「つま問う」は、結婚の申し込み、プロポーズということですが、ここでは新婚の契りのことを言っているようです。
三首目、昨日の夜に降っただろう春の雪が積もった上を、新妻の手を取って君が歩ませるのであろう。
内容としては雪云々、というより、やはり新婚の初夜のことを比喩的に詠んでいるように思います。
よき妻を君は娶りぬ妻はあれど殊にかなひぬ君が妻君(めぎみ)に
作者は正岡子規。
友人が結婚したお祝いの歌で、「君」が2回、「妻」が3回繰り返されています。
同音の繰り返しの語法は正岡子規は好んで用いたようで、特色の一つとなっています。
恥多きあるがままなる我の身に添はむとぞいふいとしまざれや
作者は吉野秀雄。
妻登美子と再婚の際に詠んだものです。
意味は、恥の多い、あるがままの私と結婚してくれるという、この妻を愛さないでいられるだろうか。
一連のもう一首
我が胸のそこひに汝の恃(たの)むべき清き泉のなしとせなくに
こちらは「自分の心の奥底にあなたが頼りとするべき清い泉が、ないということのないように」というもの。
自らの望みを静かに清らかに歌っています。
この歌について詳しくは下の記事に。
吉野秀雄 妻の短歌「我が胸のそこひに汝の恃むべき清き泉のなしとせなくに」
うてばひびくいのちのしらべ しらべあひて世にありがたき二人なりしを
作者は若山牧水の妻。若山喜志子。
結婚よりもっとずっとたってからの歌ですが、相手と二人あることの感謝を詠んでいて 心打たれるものがあります。
終りに
結婚の歌はおめでたい歌であり記念にもなるので、もっとたくさん詠まれてもいいと思います。
これから引き続き探して、見つけたらまた追加していきます。