歌人の永田和宏さんが瑞宝中綬章を受章したことが3日の新聞で報道されました。
歌人としてだけでなく、「歌人と細胞生物学者」の両方としてのようです。おめでとうございます。
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永田和宏さん瑞宝中綬章を受章
朝日新聞の選者としてもお馴染みの、永田和宏さんが、瑞宝中綬章を受章したことが、3日の新聞でわかりました。
「歌人・細胞生物学者」と紹介されていますので、その両方の分野での受章となられたようです。おめでとうございます。
永田さんご自身は、短歌と細胞生物学、その二つの分野両方というところを
「本来は何の関係もないことで、何かの必然があって両方をやっているわけでも全然ない。僕の人生は、後ろめたさとの闘いだったという気がします」
「『この道一筋の美学』は自分のなかにもあって、どっちかをやめようと思ったことは何度もあります」。だが、「結局、どちらも捨てられなかった。いまは、それでよかったと思えるようになりました」
と述べられています。
なお、永田さんは、2009年に紫綬褒章も受章。
2017年に「第40回現代短歌大賞」も受賞されています。
妻は、歌人の河野裕子さん、2010年にお亡くなりになりましたが、永田さんは、今回の受賞に
「本当のところ、河野裕子と出会ったことが人生で最大の出来事だった。彼女がいたから、歌もやれたし、サイエンスもやろうという気になった。両方やることのしんどさを、一番わかっていてくれた。喜んでくれただろうと思います」
と話されたそうです。
永田和宏さんの代表作品
永田和宏さんの代表作品、たくさんあってご紹介しきれませんが、永田作品の入り口としてあげさせていただきます。
歌人の自選の短歌
やわらかき春の雨水の濡らすなき恐竜の歯にほこり浮く見ゆ
今夜われは鬱のかわうそ 立ち代わり声をかけるな理由を問うな
昨日の夜の酔いはぼろぼろ 脈絡の何処に君の笑いいし声
水鳥の水走る間の蹠のこそばゆからむ笑いたからむ
つまらなそうに小さき石を蹴りながら橋を渡りてくる妻が見ゆ
顔以外で笑えることを喜んでいるかのように犬が尾を振る
千年の昼寝のあとの夕風に座敷よぎりてゆく銀やんま
あきらめて優しくわれはあるものをやさしくあれば人はやすらう
右京より人訪ね来し右京には今日かすかなる紺のかざはな
扉(ドア)の向こうが海だとでもいうように君はもたれおり
昔も今も小さき脳をスライスにして染めているこの学生は茂吉を知らぬ
影を脱いでしまったきりんはゆうぐれの水辺のようにしずかに歩む
ねむいねむい廊下がねむい風がねむい ねむいねむいと肺がつぶやく
夕暮れの把手(ノブ)ははつかに濁りいつ<どこでも扉(ドア)>などどこにもあらぬ
雨の日に電話かけくるな雨の日の電話は焚火のようにさびしい
酔っていることのみ告げて切れしかば夜の受話器はとろりと重い
永田和宏さんの相聞歌
河野裕子さんと結婚する前の相聞の歌は、とてもよく知られています。
代表作としてよく取り上げられるのは、次の歌
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
他にも
背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり
ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが
きまぐれに抱きあげてみる きみに棲む炎の重さを測るかたちに
駆けてくる髪の速度を受けとめてわが胸青き地平をなせり
草に切れし指を吸いつつ帰り来れば叫びたきまでわが身は浄し
歌集「メビウスの地平」より
妻河野裕子と別れても続く相聞
妻裕子さんの亡くなった後は、悲しくも美しい歌の数々が読まれています。
おばあさんになったあなたを見たかった庭にちひさくまどろむやうな
抱きたいと思へる女性がどうしやうどこにもなくて裕子さん、おい
訊くことはつひになかつたほんたうに俺でよかつたのか訊けなかつたのだ
裕子さんの生前は、
歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る
と詠んでいた、永田さん。
裕子さんは、残していく永田さんを思いやって
わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし
と残されました。
誰にとっても避けられない配偶者との別れ、それがこれほどまでに悲しく美しいのも、やはり短歌という器があってこそ。
そして、その器に歌を盛ったのは、永田夫妻の愛でしょう。
闘病中には心のすれ違いもあったことも読んでいますが、それでも愛情というのは、一人では生まれない、心が通い合ってこその歌の数々なのだということを改めて思わされます。
【永田 和宏教授 プロフィール】
1947年滋賀県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。
2016年京都産業大学タンパク質動態研究所初代所長。宮中歌会始詠進歌選者を務める等、歌人としての活動も知られる。2009年紫綬褒章受章。2017年ハンス・ノイラート科学賞(The Protein Society)日本人初授賞。