ねずみ年の2020年、とはいっても、ネズミを普段の生活で見かけることはほとんどなくなりました。
斎藤茂吉のネズミの短歌を読むと、普段の暮らしの中にネズミがいた頃もあったことに気づかされます。
今回は、ユーモラスかつ真剣な斎藤茂吉のネズミの短歌をお伝えします。
スポンサーリンク
鼠の短歌
鼠というと、現代ではペットで買われているマウスを思い浮かべることがほとんどで、害虫としてのネズミの側面に思い当たることは少なくなりました。
しかし、昔の人は、ネズミの駆除には苦労したようです。
斎藤茂吉は、元々動物好きであったようで、動物を詠んだ歌がたくさんありますが、ネズミに関しては、”鼠退治”の歌を大真面目に、しかし、それゆえに読んだ我々から見ると可笑しくもある歌をたくさん詠んでいます。
鼠等を毒殺せむとけふ一夜(ひとよ)心楽しみわれは寝にけり
読み:ねずみらを どくさつせんと きょうひとよ こころたのしみ われはねにけり
作者と出典
斎藤茂吉 『暁光』
昭和11年春に詠まれた歌。
感想と解説
斎藤茂吉の家は病院で、お手伝いさんもいるのですが、鼠に悩まされて、駆除に自ら乗り出した茂吉のようです。
罠をかけたのか、何らかの施策を施したと見えて、明日の朝はどうなってるのだろうか、それを「楽しみ」とする茂吉のユーモラスな一面が伝わってきます。
鼠の巣片づけながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」
読み:ねずみのす かたづけながら いうこえは ああそれなのにそれなのにねえ
作者と出典
斎藤茂吉『寒雲』
感想と解説
斎藤茂吉のネズミの歌でもっとも有名な歌は、この歌とされています。
茂吉は当時の風俗の伝わる歌をいくつか読んでいますが、この歌もその一つ、「ああそれなのにそれなのにねえ」というのは、流行歌のフレーズだそうです。
鼠の巣を片づけに依頼してきてもらった掃除人が、作業中に漏らした鼻歌であったと茂吉がのちに述懐しています。
「ああそれなのに」の歌について
「あゝそれなのに」は作詞がサトウハチロー、古賀政男作曲で、芸者さんであった美ち奴(みちやっこ)が歌った歌。
昭和11年に発売され、翌12年に映画の挿入歌となると40万枚とも50万枚とも言われる大ヒットとなり、当時は誰もがみんな知っていた歌だそうです。
面白いことにこの歌はこの引用部分「ああそれなのにそれなのにねえ」が論争になったというのですが、何が悪かったのでしょうか。
今となってはよくわかりませんが、茂吉自身は、それに反駁をしており、この一首をみずから「コロンブスの卵」とまで言ってその「存在価値を力説」(塚本邦雄)したそうです。
また、塚本は、掃除人が口ずさんだのか、あるいは作者であったのかも「はなはだ曖昧」(同)ということで、あるいは茂吉がこの歌を口ずさんだものであったのかもしれません。
鼠の駆除に大成功して、根絶することを「こころ楽しみ」にするくらいであったならば、根絶やしにした鼠の巣を片づける時に、気楽な鼻歌が出ても不思議ではなさそうです。
また、茂吉はこの美ち奴(みちやっこ)のような、女性の声に関する歌は他にもあるので、聴覚的にいくらか敏感にとらえるところがあったようです。
他のネズミの歌
天井に鼠の走る音きけば紙のたぐひを運べるらしも
壁の中に鼠の児らの育つをば日ごと夜ごとにわれ悪(にく)みけり
わが籠る机のまへの壁ぬちに鼠つつしむことさへもなし
よしゑやし鼠ひとつを殺してもわれの心は慰むべきに
金網を張りめぐらしていましめし天井うらに鼠入り居り
斎藤茂吉の家というのは、病院と居宅の大邸宅で、お手伝いさんがいるような裕福な暮らしです。
それなのにこれほど鼠が家を走り回っている音がするというのですから、暮らしていても気が気ではなかったでしょう。
「こころ楽しみ」が多少なりともわからないではありませんね。
斎藤茂吉の虫の歌
鼠はこのくらいにして、茂吉の動物、特に虫を題材に詠んだ歌を少しあげておきます。
電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ『あらたま』
寺なかのともりし白き電燈に螅螂とべり羽をひろげて『
ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ『同』
唐辛子いれたる
唐辛子の中に繭(まゆ)こもる微(かす)
うつせみのわが息息を見むものは窗にのぼれる蟷螂ひとつ『小園』
茂吉は他に動物を詠んだものも多くあり、これらの小動物に親近感を感じていたらしい様子がうかがえます。
それでは、ねずみ年である今年一年、また短歌と共に過ごしてまいりましょう。