死者が生者を励ますという発想の歌詞「千の風になって」 - 短歌のこと

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死者が生者を励ますという発想の歌詞「千の風になって」

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昨日、文部科学省による教科書検定の記事を読んだ。ひとつは太平洋戦争の沖縄戦に関しての記述の問題、もうひとつが高校生の音楽の教科書に演歌が取り上げられたということ、(以前「ヨナ抜き音階」すなわちペンタトニックスケールについて書いたことがある。)、もうひとつ「千の風」という詩の原詩が英語の教科書に掲載されたという話題に、とても興味を引かれた。

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以前から話題であったらしく、紅白歌合戦でも歌われたということだが、私はテレビをほとんど見ないので、曲そのものについては存じ上げないのだが。

 歌詞の訳詞はこちら。 http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/

 読売新聞編集委員の、芥川喜好氏によると、死者は風になっていつも生者とともにある、だから嘆かないでほしい、そういう詩であると言われる。芥川賞作家で、作詞作曲もされる新井氏は「死者が書いた詩、死者が生者を励ます詩」というという発想に驚かれたという。
「死は愛する者が遠くへ行ってしまうことではなく、姿を変えて近くにいること」という死生観、宗教的ではなくて風や光といった素朴な自然感という日常性が共感を呼んだという見方らしい。

 また、芥川氏によると、新井氏が老子の哲学に親しんでいたことも挙げている。具体的には、「この歌のひろやかな救いの感覚は『風』という言葉の繰り返しとそのイメージにある」とする。

 さらにネットの方で原詩を当たってみたら、もっといろいろなことがわかった。 「A Thousand Winds」は英語圏では、それ以前から広く知られており、原作者は不詳だが、メアリー・フライ説が有効であるという二木紘三氏の以下ブログでのエピソード。さらに二木氏の「汎神教的・アニミズム的感覚」という指摘はたいへん興味深い。 

新井氏の訳の方は、歌詞として用いられるもののため、「風」を含む一部分に焦点が当てられているのだが、英詩のほうを見ると、「雲」「実り」「雨」「部屋」「花」といった、身近なあらゆるものが挙げられていることがわかる。

 原詩はこちら。二木紘三氏のブログ。
 http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/02/post_726d.html

 私がもっとも引かれたのは、この詩の書かれたきっかけ、動機の方になる。

 原作者と思われるメアリーが友人マーガレットと話していると、マーガレットは亡くなった母親の墓参りに行けないことを深く嘆いた。墓に行くことを望んでいたのだが、マーガレットはユダヤ系だったので、当時ドイツに帰れる状況ではなかったらしい。

メアリーはマーガレットが泣いている間に、その詩をしたためた。「脚韻を踏んで」いるという、やや高度な手法なため原作どおりではないとも言われるが、しかし、メアリーが「私はお墓にいるのではないので、そこで泣かないで」(Do not stand at my grave and weep, I am not there, I do not sleep.)と書いたことは、その伝えられた状況に符合する。つまり、その詩は、やはり何よりも友人への慰めとして書かれたものであるのだと思う。

 メアリーはそれが有名になってからも、その著作権を主張しようとはしなかった。そして新井氏も、やはり家族を亡くした友人とのつながりで、この訳を歌にしたという。 

 肉親を亡くした人を慰めたいと作られた詩であり歌である、ということに、より深く胸を打たれる思いがする。

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