流れ行く大根の葉の早さかな【表現技法と背景の解説】  

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流れ行く大根の葉の早さかな【表現技法と背景の解説】

2024年4月1日

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流れ行く大根の葉の早さかな

作者高浜虚子の「写生句の代表作」といわれる作品の現代語訳と表現技法の解説、鑑賞を記します。

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「流れ行く大根の葉の早さかな」の解説

読み:ながれゆく だいこんのはの はやさかな

作者と出典

作者名:高浜虚子 たかはまきょし

現代語訳

川を流れていく大根の葉の早さが早いなあ

句切れ

句切れなし

切れ字

「かな」の切地

季語

  • 季語は「大根」
  • 冬の季語

形式

有季定型

「流れ行く大根の葉の早さかな」の説明

この句は冬の小川を流れていく大根の葉の速度に焦点を当てた句です。

背景

大根は食用にする白い部分が根であり、根は土に埋まっているため、収穫後に水で洗う必要があります。

畑から引き抜いた大根は、昔は栽培した人が川で洗って土を落としてから持ち帰ることが習慣となっていました。

季節

大根は冬に収穫される野菜であるので、「大根」は冬の季語です。

なので、畑から抜いた大根を冬の小川の川べりで洗っているのです。

作者の位置について

俳句単体では、大根を洗っている人が詠んだ句という見方と、それを見ている人が作者となって詠んだ句という二つの見方が成り立ちます。

大根を洗っている人が詠んだという設定であれば大根を洗っている人が、うっかり取れてしまった葉が、流れに乗っていくのを見て「速い」と感じる。

取り戻しようがないという残念な気持ちが「速い」にこめられることとなります。

もう一つの見方では、作者が農夫が大根を洗っているそのやや川下で大根の葉が流れていくのを見たという解釈です。

作者高浜虚子の自解によると、後者が実際に俳句が成立した背景となります。

作者自身の解説

「フトある小川に出で、橋上に佇むでその水を見ると、大根の葉が非常な早さで流れてゐる。之(これ)を見た瞬間に今までたまりにたまつて来た感興がはじめて焦点を得て句になつたのである。」-高浜虚子の自句自解

ただし、一句だけを見て読み手が思うことは自由ですので、必ずしも作者が意図したことが正解というわけではありません。

大根の葉の速さ

大根の葉はやや上向きにつきますので、川水の抵抗が少ない方向にある方が早く流れます。

おそらく大根の葉は自然に思いはの根元の方を下にして、流れに垂直に流れて行ったのでしょう。

句の主題

この句のポイントは大根の葉の流れる速さに対する作者の驚きにあります。

農家の人なら見慣れている光景であっても、作者にとっては新しく見るものであったのでしょう。

実際に葉の流れる様子を見るとあっという間に遠ざかってしまう。

「大根の葉がこんなにも早く流れるものなのか」という驚きと気づきが句を生んだと考えられます。

高浜虚子について

作者高浜虚子のプロフィールと、他の作品をご紹介します。

高浜虚子のプロフィール

高浜 虚子は、明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜 清。旧姓は池内。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。―出典:フリー百科事典Wikipedeia「高浜虚子」より

高浜虚子の作風について

高浜虚子は「写生」の理念を掲げた正岡子規に師事、新風に対抗し、定型である五七五調の保持、季語の使用など俳句の伝統性を重んじました。

また、俳句の理念としては客観写生を旨としており、本欄の句はその写生の代表作とされています。

高浜虚子の他の俳句

春風や闘志いだきて丘に立つ

桐一葉日当りながら落ちにけり

遠山に日の当りたる枯野かな

秋風や眼中のもの皆俳句 秋の風

大海のうしほはあれど旱かな

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各俳句の解説はリンク先の記事で読めます。

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