梁塵秘抄「遊びをせんとや生まれけん」の遊びとは?舞え蝸牛の本当の意味 - 短歌のこと

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梁塵秘抄「遊びをせんとや生まれけん」の遊びとは?舞え蝸牛の本当の意味

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平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』。短歌においても、斎藤茂吉や北原白秋などが大きな影響を受けました。

今日は『梁塵秘抄』とは何か、そして、その中でも良く知られた代表的な歌「遊びをせんとや生まれけん」に新たに知ったことを書いていきます。

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今様歌謡の集成

『梁塵秘抄』は、平安時代末期に編まれた歌謡集です。本来は短歌のような書き表された詩歌ではなくて、演者、主に遊女が実際にその歌詞で歌い、同時に舞いを舞う芸の一つでした。

後白河法皇は少年のときより、この「今様」と呼ばれる歌謡をたいへんに好んでおり、実際演じさせては楽しみ、また自分でも口伝えにして憶えて、歌ったりしたのです。

自分の死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にしました。その集成の本の題名が『梁塵秘抄』です。

つまり、『梁塵秘抄』は今様の歌を書き留めた歌謡集です。

その当時に楽譜があれば、それも書き残すことができたでしょうが、残念ながら節回しは正確にはわかりません。

しかし、類推するところを演奏している演奏家や、ネットで音源にしている人もいるようで、いろいろな推測がなされているようです。

現代への伝わり方

1911年(明治44年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見されました。
それに続いて、大正から昭和にかけて、佐佐木の校訂による本が明治書院と岩波書店から刊行されたのです。

そして、その当時それを読んだ、斎藤茂吉や、北原白秋が感銘を受けて、そのモチーフを相互に短歌に取り入れ、お互いにも影響を受けました。

もちろん、私が『梁塵秘抄』に興味を持ったのも、それらを取り入れた短歌の作品を読んだからです。

今様とはどんな歌だったか

そもそもの「今様」とはどんな歌だったのでしょうか。「今様」の「今」とは古いものに対して、その時代には最も新しいものであったという意味です。

いくつかのカテゴリーがあり、そのうち法文歌といわれる、仏教系の歌が数がもっとも多くあります。

しかし、仏教とはいっても、踊りがついており、それを歌っていたのは遊女ですから、文学的な堅苦しいものでも、仏典のようなものでもなく、あくまで流行歌のジャンルであったようです。

歌った人は「白拍子」

遊女たちは当時は「遊女」(あそび)とか「傀儡子」(くぐつ)とか「白拍子」と呼ばれており、遊女が芸能を披露するのも生業の一部でした。

白拍子とは各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけるという独特の男装スタイルで、今様を舞い踊りました。能に出てくる静御前は、白拍子で、その服装がうかがえるでしょう。
当時は女性が男装をするのが、当世風であったのです。

また人形遣いの「傀儡子」(くぐつ)は、人形を箱の上に置いて操りながら、今様を謡ったともいいます。そのように皆に見せて、楽しませるためのものでした。

歌の内容と雰囲気は

娯楽目的の歌であったのは間違いないのですが、神や仏を恐れ敬うというのではなく、しかし敬虔さがにじみ出ているという不思議な性格です。
茂吉や白秋が影響を受けたのも、この点といえます。

また、歌っていた遊女の境涯を反映して、華やかであると同時に哀感を感じさせるものが多いのも特徴です。それを実際の歌で見ていきます。

 

「遊びをせんとや生まれけん」の歌

遊びをせんとや生れけん
戯(たはぶれ)れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそゆるがるれ

七五調の4節でできており、平安町末期の歌謡形式と呼ばれるものです。

今でもWikipediaでは、これを「童心の歌」とまとめて書いており、私も深く考えないで読んでいました。
しかし、「遊女(あそびめ)」というように、この歌の「遊び」は二重の意味があり、この1行目と2行目の「遊び」と「戯れ」とは、子どもの遊ぶことでないのです。

3行目の「遊ぶ子供の」というところだけが、ここはその通り「子どもの遊び」です。

つまり、全体の意味はというと、このようになります。

意味:
遊びをしようとして、わたしはこの世に生まれてきたのだろうか。戯れごとをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか。
無心に遊ぶ子どもの声を聴いていると、私の身も心も揺らいできてしまう

 

うかうかと男女の悦楽にふけって、ある日「自分はこんな遊びのためにうまれてきたのだろうか」という疑問が胸に浮かぶ。

子供の無心な声を聞けば、昼間の今は、表向きは子どもと同じように華やかに舞を舞っていても、夜は遊女としてけっしてそれと同じではない、あさましいなりわいが待っている。

そんなことのために、自分は生まれてきたのかという、深い嘆きの声がこめられているのがこの歌なのです。

しかし、これはあくまで「歌」なのであって、舞と合わせるべき華やかさ、調べの軽さと調子の良さがあります。そしてそれが悲しみ一辺倒ではない、不思議なデカダンスを感じさせるものともなっています。

 

『梁塵秘抄』の他の代表的な歌

『梁塵秘抄』の歌から、他にも有名なものを引いてみます。

 

仏はつねにいませども  

仏はつねにいませども  
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見へたまふ

五七五七七の形に歌われているものです。

意味は「仏さまはいつも居らっしゃるのだけれども目に見えることはないのが尊いことだ。人の音のしない夜明けに、ほのかに夢に見えなさるのだ」。
これも歌われていただけあって、調べがひじょうになだらかです。 

 

舞へ舞へ蝸牛

舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば
馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん
真(まこと)に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん

蝸牛に向かって歌う歌なのですが、実はこれはこの歌を歌っている白拍子のことでもあるのです。
そのように歌って皆を楽しませている遊女本人が、美しく舞わなければ明日はない。

そもそも、鈍重な蝸牛が美しく舞えるはずもなく、それを「舞え」というのは、からかいなのです。
そう思って味わえば、華やかでありながら、残酷であり、刹那的な春をひさぐものとしての悲しみが感じられるでしょう。

 

まとめ

吉田兼好は『徒然草』に「梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ」と書きました。

また、北原白秋は「ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光(こんじきこう)のさす心地する」と「梁塵秘抄」そのものを詠んでいます。

歌い回しはわからなくても、そのように文字として残された『梁塵秘抄』。
1174年、今からさかのぼって840年余り前のことです。

遠い遠い世の遊女たちが作っては、口伝えで残された歌、それを書き留めた一冊の選集が、後々の詩歌にも影響を与えるところとなって、今に伝えられていると思うと、いっそう感慨が深いものがありますね。

 

『梁塵秘抄』は、誰にもわかりやすく読める下のシリーズがおすすめです。

 

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