島木赤彦「寂寥相」発見の過程 万葉集の「古典の永遠性」  

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島木赤彦「寂寥相」発見の過程 万葉集の「古典の永遠性」

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島木赤彦のいう「寂寥相」というのは、「写生」と並ぶ短歌のコンセプトですが、それはどのようなものでしょうか。

島木赤彦が万葉集との関わりを探る中で、「古典の永遠性」について書かれた部分を紹介します。

また、寂寥相を発見する手がかりとなった、赤彦が選んだ万葉集の短歌を筆写しておきます。

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島木赤彦と万葉集

ある作品を誰かが美しいと感じた時、その美しさにはたいてい彼または彼女の求めるものが投影されている。逆に、ある作品がどれほど美しかろうと、その美しさが享受者の志向や希求と食い違っていたら、その作品は彼または彼女の琴線には決して触れない。経験されない美は存在しないのと同じことなのだから、ある作品に美を見出した人は、その美の少なくとも半面を自身の志向や希求に沿って現出させた、つまり作り出したことになる。 古典における普遍の「美」はいわばそのようにして創られたものである。

 

 

島木赤彦のいう「寂寥相」の歌

赤彦が輪講で出会った歌と、のちに引用した歌は次の通り。

「寂寥相」と名付けられる観念を赤彦が見出した万葉集の和歌作品です。

四極山(しはつやま)打越え見れば笠縫の島漕ぎかくる棚無し小舟(をぶね)3・272

高市黒人磯の崎こぎ回(た)み行けば近江の海八十の湊に鶴多(たづさわ)に鳴く 3・273 同

わが盛(さかり)また変(た)ちめやもほとほとに寧楽(なら)のみやこを見ずかなりなむ 3・331 大伴旅人

浅茅原つばらつばらに物思へば古りにし郷(さと)し思ほゆるかも 3・333

縄の浦ゆそがひに見ゆる奥(おき)つ島こぎたむ船は釣しすらしも 3・357 山部赤人

塩津山うち越え行けば我が乗れる馬ぞ躓く家恋ふらしも 3.365 笠金村

むかし見し旧き堤は年ふかみ池の渚に水草(みくさ)生ひにけり 3・358 同

小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさわげども我は妹を思ふ別れ来ぬれば 2・133柿本人麻呂

足曳の山川の瀬の鳴るなべに弓月が獄に雲たちわたる 7・1088 同

淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けばこころもしぬに古おもほゆ 同

み吉野の象山(さきやま)のまの木ぬれには幾許(ここだ)もさわぐ鳥の声かも 6・942 山部赤人

鳥玉(ぬばたま)の夜のふけぬれば久木(ひさぎ)生ふるきよき河原に千鳥しば鳴く 6・925 同

吉野なる夏実の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山かげにして 3・375 湯原王

一つ松いく世か経ぬる吹く風の音の清めるは年深みかも 6・1042 市原王

あかときと夜鴉鳴けどこの山上(をか)の木末の上はいまだ静けし 7・1263

 

寂寥相の定義

寂寥相の定義については、

「宗教的直観がもたらす自然と人間が一体となった歌の境地」

と言われています。

対象に沁みいるように詠うことで自然と一体化する究極の境地に至ろうとするものです。




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