あら玉の年のはじめの七草を籠(こ)に植えて来し病めるわがため は正岡子規の新年の短歌。
外に出られない子規のため、お弟子の歌人岡麓(おかふもと)が七草を植えて持ってきた、その鉢植えを詠んだ歌です。
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あら玉の年のはじめの七草を籠(こ)に植えて来し病めるわがため
読み:あらたまの としのはじめの ななくさを こにうえてこし やめるわがため
作者と出典
正岡子規 『竹の里歌』
歌の語句
あらたまの・・・「年」にかかる枕詞。
植えて来し・・・「植えてきた」「来し」は「きし」と読む人がいるが、「こし」が正しいとされる。
一首の意味
年の初めの七草を籠に植えて持ってきてくれた。病んで外出できない私のために
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正岡子規と病気
正岡子規は晩年は結核で病臥し、外出も歩くこともままならなかったため、短歌の弟子の岡麓(おかふもと)が七草の鉢植えを持って新年の挨拶にやってきた。子規はたいそう喜び、その鉢植えを見て詠んだ歌である。
新年詠というのは、形式的なものが多くて、おもしろくないものが多いが、この歌は素朴な喜びにあふれている。
麓が丹念にひとつひとつの草を集め、そして草の名前を記した札を立てた模様。子規はその一つずつの草を観察して描写している。
七草というのは、野辺に生えている野草ではあっても、伸び始めの短い時期に七つを揃えるのはそう簡単ではない。子規は麓の心づくしが身に沁みたのだろう。
正岡子規「墨汁一滴」より
正岡子規「墨汁一滴」より該当箇所。読み仮名は各漢字の後に。
一月七日の会に麓ふもとのもて来こしつとこそいとやさしく興あるものなれ。長き手つけたる竹の籠かごの小く浅きに木の葉にやあらん敷きなして土を盛り七草をいささかばかりづつぞ植ゑたる。
一草ごとに三、四寸ばかりの札を立て添へたり。正面に亀野座かめのざといふ札あるは菫すみれの如ごとき草なり。こは仏ほとけの座ざとあるべきを縁喜物えんぎものなれば仏の字を忌みたる植木師のわざなるべし。
その左に五行ごぎょうとあるは厚き細長き葉のやや白みを帯びたる、こは春になれば黄なる花の咲く草なり、これら皆寸にも足らず。
その後に植ゑたるには田平子たびらこの札あり。はこべらの事か。真後まうしろに芹せりと薺なずなとあり。薺は二寸ばかりも伸びてはや蕾つぼみのふふみたるもゆかし。
右側に植ゑて鈴菜すずなとあるは丈たけ三寸ばかり小松菜のたぐひならん。
真中に鈴白すずしろの札立てたるは葉五、六寸ばかりの赤蕪あかかぶらにて紅くれないの根を半ば土の上にあらはしたるさま殊ことにきはだちて目もさめなん心地する。『源語げんご』『枕草子まくらのそうし』などにもあるべき趣おもむきなりかし。
あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来こし病めるわがため