短歌・和歌

あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ 会津八一の短歌 

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あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ

会津八一の仏像を詠んだ短歌でよく知られる作品、仏像を「きみ」としたところに論議があります。

会津八一の短歌をご紹介します。

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あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ

読み:あめつちに われひとりいて たつごとき このさびしさを きみはほほえむ

作者と出典

会津八一 (あいづやいち)

「鹿鳴集」(ろくめいしゅう)

漢字表記:

元々、会津八一の歌は、ひらがなで表記されていますが、あえて、漢字に置き換えたものが下のようになります。

天地に我一人り居て立つごときこの寂しさを君は微笑む

歌の意味

天地のはざまにただ一人立っているような、この私の胸にこみあげる寂しさに、御仏が微笑みかけてくださるようだ

歌の解説と鑑賞

「南京新唱」で、夢殿の久世観音を詠んだ歌。

夢殿は聖徳太子が斑鳩宮の跡に建てた建物で、中央の厨子には、聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像が安置されています。

また、この歌の歌碑は、2014年から法隆寺に移設されています。

「きみ」の呼称について

この「きみ」とは仏像のことですが、アララギ派の歌人、宮地伸一氏は、仏像を「君」と呼ぶことに違和感があるといいます。

「君」という語は古代語から現代語まで随分複雑に変化しているけれども、信仰の対象である仏像に対して、いくら親愛の気持をこめたからと言っても「きみ」と言うのには抵抗を感ずる。英語では神に対しても国王に対しても、youと言うのであろうから、それと同様の言い方だと考えていいかもしれないが、とにかくこの「きみ」が致命傷になるのではあるまいか。 宮地伸一「短歌雑記帳」

 

会津八一の「ほとけ」を詠うもうひとつの歌を引きます。

ひそみ きて た が うつ かね ぞ さよ ふけて
ほとけ も ゆめ に いり たまふ ころ

読み:ひそみきて たがうつかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたまふころ

作者と出典

会津八一

「寒燈集」(かんとうしゅう) 観音堂

漢字表記 試案

ひそみ来て誰が打つ鐘ぞ小夜更けて仏も夢に入り給う頃

歌の意味

ひっそりとやって来て、誰が鐘を打っているのだろう。夜が更けてもう仏様も夢に入るころなのに

一首の鑑賞

夜の鐘の音に耳を傾ける作者は、それを打つ人を思い、そこから転じて、仏に想念を移しています。

この歌でも、仏は「夢に入る」擬人化された、身近な対象となっています。

暖かく静かな内容ですが、寂しさも漂う歌です。

 

会津八一の短歌の特徴「万葉調の良寛調」

以下は大辻隆弘「アララギの背梁」より

茂吉が「万葉調の良寛調」と読んだ八一の歌には子規の影響のみならず、当時のアララギ派歌人の「アララギ的万葉調」とも別な、万葉集の語法を子規の作を通して意識的にもちいられた。アララギ主流の詩型のなかではすでに捨て去られてきた数多くの万葉集の文体が八一の歌に保存されている。歌壇から隔絶した場所にいた生きた化石のような八一の歌の中で、「子規万葉」の世界が奇跡的に息づいていた。そこにこそ「南京新唱」という歌集の短歌史的に重要な意義」がある。―「アララギの背梁」より

なお「南京」は「なんきょう」と読む。

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