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あめつちにわれひとりゐてたつごとき 「万葉調の良寛調」会津八一の短歌

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会津八一を知ったのは、吉野秀雄が師事した歌人であるとのつながりからだった。

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仏像に呼び掛ける

最もよく知られているのは、仏像に向かって詠んだ次の歌。


あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ



天地に我独り居て立つ如きこのさびしさを君は微笑む



この「きみ」とは仏像のことであるらしい。
あるアララギ派歌人は、仏像を「君」と呼ぶことに違和があると言う。
また「さびしさを、ほほゑむ」というつなげ方が、「こなれない」という意見も見かけたが、それぞれかもしれない。

そこにあるものの表情が、自分にどのように伝わるかは、そのときの自分自身の心境にも拠るのだろう。

アンブロージオ・ロレンツェッティの「授乳の聖母」の絵に、聖母ではあっても子供を抱く母としての笑みがないことを、むしろ不思議に思ったことがある。

多くの母親は子供を抱いている時けっして無表情ではない。自然に笑む顔に近くなるのが普通のように思う。

八一のもうひとつの歌。


ひそみきてたがうつかねぞさよふけてほとけもゆめに入りたまうころ





ひそみ来て誰が打つ鐘ぞ小夜更けて仏も夢に入り給う頃

夜の鐘の音に耳を傾ける作者は、それを打つ人を思う。

さびしさにも夜中の祈りにも応えてくれる、それが仏であってほしいと思う。

八一の短歌の特徴「万葉調の良寛調」

以下は大辻隆弘「アララギの背梁」より

茂吉が「万葉調の良寛調」と読んだ八一の歌には子規の影響のみならず、当時のアララギ派歌人の「アララギ的万葉調」とも別な、万葉集の語法を子規の作を通して意識的にもちいられた。「アララギ主流の師系のなかではすでに捨て去られてきた数多くの万葉集の文体が八一の歌に保存されている」「歌壇から隔絶した場所にいた生きた化石のような八一の歌の中で、「子規万葉」の世界が奇跡的に息づいていた。そこにこそ「南京新唱」という歌集の短歌史的に重要な意義」があると大辻氏は言う。

なお「南京」は「なんきょう」と読む。

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