会津八一の短歌について「アララギの背梁」大辻隆弘著から読みました。
会津八一はアララギの歌人ではないですが、斎藤茂吉が「万葉調の良寛調」といった会津八一の短歌には、「子規万葉」の影響がみられると大辻氏は言います。
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会津八一「万葉調の良寛調」
(斎藤)茂吉が「万葉調の良寛調」と読んだ八一の歌には子規の影響のみならず、当時のアララギ派歌人の「アララギ的万葉調」とも別な、万葉集の語法を子規の作を通して意識的にもちいられた。「アララギ主流の師系のなかではすでに捨て去られてきた数多くの万葉集の文体が八一の歌に保存されている」「歌壇から隔絶した場所にいた生きた化石のような八一の歌の中で、「子規万葉」の世界が奇跡的に息づいていた。そこにこそ「南京新唱」という歌集の短歌史的に重要な意義がある。
と大辻氏は言う。
なお「南京」は「なんきょう」と読む。
以下に大辻氏の挙げた会津八一の歌を引く。
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あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ 会津八一の短歌
会津八一の短歌
つのかるとしかおふひとはおほてらのむねふきやぶるかぜにかもにる
わぎもこがきぬかけやなぎみまくほりいけをめぐりぬかささしながら
あきはぎはそでにはすらじふるさとにゆきてしめさむいももあらなくに
しぐれのあめいたくなふりそこんだうのはしらのまそほかべにながれむ
あまたみしてらにはあれどあきのひにもゆるいらかはけふみつるかも
うつしよのかたみにせむといたづきのみをうながしてみにこしわれは
みほとけのあごとひぢとにあまでらのあさのひかりのともしきろかも
むかつをのすぎのほこふでぬきもちてちひろのいはにうたかかましを角刈ると鹿追ふ人は大寺の棟ふき破る風にかも似る
吾妹子が衣掛け柳みまくほり池をめぐりぬ傘さしながら
秋萩は袖には摺らじ故郷に行きて示さむ妹もあらなくに
時雨の雨いたくな降りそ金堂の柱のま赭壁に流れむ
あまた見し寺にはあれど秋の日に燃ゆる甍は今日見つるかも
うつし世の形見にせむといたづきの身をうながして見にこしわれは
み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも
むかつをの杉の鉾筆抜き持ちて千尋の岩に歌書かましを
・・・
かすがののみくさをりしきふすしかのつのさへさやにてるつくよかも
すゐえんのあまつをとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかな
くわんおんのしろきひたひにやうらくのかげうごかしてかぜわたるみゆ
まばらなるたけのかなたのしろかべにしだれてあかきかきのみのかず
ののとりのにはのをざさにかよひきてあさるあのとのかそけくもあるか春日野のみ草折り敷き伏す鹿の角さえさやに照る月夜かも
水煙の天つ乙女が衣手のひまにも澄める秋の空かな
観音の白き額に瓔珞の影動かして風わたる見ゆ
まばらなる竹の彼方の白壁にしだれて赤き柿の実の数
野の鳥の庭の小笹に通ひきてあさる足の音のかそけきもあるか
大辻氏のあげる会津八一の特徴は
これらの歌で描かれているのは、ひじょうに微細な物象や物音である。その細やかなものの影や音に、心を寄せる作者の静謐な叙情。大正十四年の茂吉の心を深く癒したのは、八一の歌のこのようなほそほそとした澄み切った「細身」の歌境であったに違いない。(大辻)
一昨年まで早稲田の会津八一記念館を訪れる機会があったものの行かないでしまったことが悔やまれます。
もう一度作品を読み直してから訪れてみたいと思います。
新潟市の会津八一記念館
新潟市の会津八一記念館は
なお会津八一の歌の筆写には下のサイトのものをお借りした。作品の他、初句からの索引があってありがたい。
http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/nankyo/nakyo.html
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