津田治子の生涯と短歌 - 2ページ  

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津田治子の生涯と短歌

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常に詠まれる美しきもの

つばくろの軒に囀る声きけば老いてしづまりゆく吾ならん
病癒えて互みのために別れむとも言ひたる夫が終に死ににき
暁近くなりて眠らむとするときに不思議に心みち足りて来し
紫陽花のはな傾きて降る雨によごれし笊をうたせつつをり
山の端にこよひも鳴ける青葉木菟歎くがごとく相喚呼ばゆこゑ
たどきなき荒地野菊の花野の中昏れて白きを踏み帰るなり
高原は草よりひくく霧のぼり冷えしずまれば身を責めて佇つ
かたばみの花にまつはる蚋を呑む蛙がをりて動く朝の庭
夢を見ることも少なくなりゆくは淡々として老いづくらしも
高萱の枯れたるままの一区画春の吹雪はほとばしり降る
父逝きてのこりしわれに夫ありき今日より後を呼ぶこゑもなき
高原の夕べはひくきより昏れてまどかに白しわが上の空
しめり匂うこの一隅の羊歯の芽によりゆきて湧く小さき希ひ
樫炭の焔みじかく立てるとき吾がうつしみを歎かむとする
冬至の日暖かかりし夕べにて雲のよりゐる雪の阿蘇山
まがなしく光る蛍よいつよりか掌の感覚も失はれたり
今生に止む歎きとも思はねど月の赤きに歩む野の上 26
肉親に見捨てられしと歎かずなり禱りにくなりしと思ふ
ゑのころも蚊帳吊草も穂に出づる前にくさむらに来りかがまる
鶉(うずら)のくぐもる声もせずなりて萱野ひろびろと昏れゆきにけり

 

五味保義の「雪ふる音」編纂の際、「選歌にあたつての労作は、夥しい同想同境の歌の整理であつたが(後略)」とあり、もちろんそれは園での隔離された生活のもたらしたものでもあるが、それが津田の歌境にとって悪いことばかりとも思われない。

限られた環境で限られた対象とその語彙を豊かに駆使して成った歌の世界。

この人が病まなければ、これらの歌は果たして成ったのだろうか。

一方、歌集の評の中には「生活苦とは無縁」と皮肉に述べたものもあった。

良くも悪くも世俗とも無縁、家族の縁もことごとく薄く、それが神や自然との限りない親しさを招いた所以でもあろう。

どうあろうとも人はありのままに生きるほかはない。生き方を選べるわけでもない。

それでも、津田の歌を見ると、津田に限らず、人の生を単純に幸不幸と呼びならわすことの無意味を思う。

 

嘆きの日々

草稗もゑのころも穂の幼くて暁露の深きこのごろ
偽りをゆるさぬ声がきこえつつこの草丘を風のふきゆく
こひ希ひ待つ日の故に朝々のかすかに黄なるかたばみの花
現身の歎きをすれば夫ありてある年紫蘇の実を漬けにけり
野を渡る風に小笹はなびきつつ雪ほがらかに月夜となりぬ
一夜ゐし雲たたまりて高原の草野に羊よぶ鐘のおと
杉の木に杉の実つづり夏茱萸の一木はやさし葉を落しそむ
枯紫蘇に雪のふり込む音きこゆ明時吾の眼ざめてあれば
罪深く吾が生きて来し一年の終らむとしてふる夜の雨
石に来て和ぎし去年もかへり来よ夫ありて吾が歎きし日かも
たかはらの夜の檜に降り出づる春の吹雪の音をききける
避け難き君が真実を肯へど手を取ればともに苦しむものを
霜曝れし白き萱野にふたり来ぬ今日はかなしきことを語りに
しぬび来ていまの生の貧しきをなほ恃むなり生きつがむため
今は吾のためらふことを赦さざる意志あり君がひくきこゑの中
山峡は昏れてたたまりゆく雲の上に照りつつ沈む三日月
罪深きいのち歎けば吾の身をひとりをらしむる冬の山の上
限りなく湧きたち騰るあかときの雲にてりゐるまどかなる月
いく重にも雲あがりつつ朝明けゆく鞍岳の上に雪ふりにけり
細雪わずかに降りて朝明けぬ限りも知らに吾は歎くのみ
限りなく湧く雲見ればうつしみは生き煩ひて今老いに入る
老いに入るいのち貧しき吾が上に夜冥く澄む天ひらけをり
さやりなく手を取ることも思ひがたし心苦しくきく君がこゑ

 

そもそも伊藤と津田の「恋愛」とはどういうものだったのだろう。

配偶者がありながら関係が周囲に容認されていたにもかかわらず成らなかったのは、想像されるような関係でもなかったのかもしれない。

津田の歌に恋愛時の心境は多く見られても、生を賭ける相手である「君」を歌ったものは案外少ない。

中城ふみ子のように相手の妻に対する世俗的な煩悶も見られない。歌われているものには津田を「苦し」めたり「責め」たりの「貧しい」生(いのち)と言うに至らしめるような相手の姿ばかりが目立つ。

ただし、一方で津田に大きな啓発を与えたものも伊藤だったのも間違いないだろう。

「夫との幸せな生活が歌を奪った」と言ったのは、かつてアララギの投稿者だった三浦綾子だった。

良くも悪くも伊藤との関係の病苦を越えた煩悶が、津田の心を歌に向かわせたのみならず、津田の歌を病一辺倒のものに留めなかった。

病苦の歌は同病者間の共通項だったが、それとは別な個の苦悩が、津田の歌を内面的でそれゆえに普遍的なものに近づけた所以のひとつかもしれない。

 

再婚を決意

今生に止む歎きとも思はねど月のきよきに歩む野の上
まがなしく光る蛍よいつよりか掌の感覚も失はれたり
夏至の日はうすく曇りて連山をつつめる雲のゆれのぼりゆく
青樫も赤芽柏も吹きなびけ来れば吾もその風の中
赤芽柏の広き葉ぬれてゆく見ればほとほと音にたちて来る雨
みどり立つ檜にこもる沼二つ明るき方の水涸れむとす
秋草の穂の上に秋の日がてれりかく寂かなり生きてゆく日の
うつしみの吾が通路の檜山ふかぶかとしてあたらしき落葉
ただ堪へて生くるいのちの醜さは心に沁みてゐて堪ふるなり(27・5)
かにかくに過ぎし思ひも苦しくて寝台に蚊帳を早く垂れにき
かそかなるかなしみのごと透きとほる銀杏の身を今宵は食めり
うつしみはかりそめならず母亡しに三十年をすぎて老いたり
しづかなるひかりの夢を見たりけりいづこともなき山の上にして
阿蘇山は日にけに見つつ何しかも今日あくがるる白き阿蘇山
書机一つを据えてほがらかに四十となりし年祝がむとす
うつしみの老いて再び人に副ふしみじみとして生きゆくべしも
老いに向かう心は今はしづかにてうづらを飼ふとたのしみてゐる
ほのぼのとさくらほぐるる頃となり老いの眠りのやすくなりたり
つゆの雨はけさ明暗の霧となりて澄みはじめたる高原の空(27・9)
月の出の清きを見ればいつよりか追はるる如き日々を過ごしき
紫に阿蘇山も昏れては吾身ひとつ茅が茂る野の上に佇つ
すみ透り秋づくけさの日にてりて狭き厨に匂ふまくは瓜
うつしみはまこと哀しきものと思う夫に来りて身をいたはるは(27・12)

やがて津田は意にそまなかったであろう年上の夫と再婚をする。夫婦には独立した部屋が与えられるためであったらしい。

夫を「老い人」と呼びながらも、自らもを「老い」と称する歌が目立つ。

良くも悪くも生活は静かに落ち着いたものになり、身の回りの物ごとにささやかな楽しみが見いだされてゆくようになる。

 

静まる暮らし

高原はあらしのなごり吹きながら後の月てる夜となりゆく(27・1)
ともしびの下に漂ふ蚊のこゑも秋の嵐の後の二夜ほど
椅のあらくなりたる葉の音か落葉はすでに木にはじまりて
午後はやく照りおとほふる冬日さしきのふと今日と二日病みたり
雪山の阿蘇に向かへりうつしみの身を死なしめむこの思ひゆゑ
のうぜんかづら芽を吹く春を今は待つ待ちてかたの着くならねども(27・3)
雪山をはなるる月が雪にてる苦しみおほきこの今のわれ
雨靄は檜にあさの露しげく少しいたいたし冬鵙なきて
かなしみは身にしづまりぬ目交に雪の降りゐる阿蘇の山見ゆ
櫟の花匂ふ後の日に痴愚として今の歎きもよみがへるべし
山昏れて空昏れてゆき高原の青葉に透りなくほととぎす
浄き世を希ふ心をもちながら身の愛欲のなほほろびざる
はかなごと思へる吾の眼前にそこ轟ける雲の中の阿蘇
土ごもりひびきの伝ふ今日の阿蘇つゆ雲の中に煙も見えず
雪雲はよべより下りて高原にほどろほどろと雪ふりでぬ(27・6)
今さらに心に沁みる山鳩の鳴くべくなりて命乱れてゐる
うつしみの過ぎたる如き思ひにて老いたる夫とふたりの日々
夕早く葉を合わせたる合歓の木の下乳搾り夫はよぎりてゆきぬ
胸もとに冷たき汗は流れて覚むこの世にあらぬ如き風の音
暑き雲白くふくれて騰りつつ朝まだきより鳴く蝉のこゑ
竹山の秀にさす今日の夕茜なほ息長く鳴く法師蝉
老夫と吾とが人を待つひまも二つの桃をてらすともしび
柿の葉が炎となりて燃ゆるとき炎に高く舞ひ上がるあり (28・2)
一握り青き胡椒を朝毎につむ年若き韓国の婦人
明方の雷とどろける雨の中くれなゐ張りて芙蓉ひらきゆく
老いふたり病むひつづけば雪の日に頬赤き少年が粥炊きくるる
かぎろひの立てる茅野に赤き煉瓦の塵芥焼却炉はいたく小さし
おとろへし肌に沁みて照りいづる一日曇りの夕茜雲
霜がれし櫟と吾のうつしみと相向ひ佇つ雪々の下
物の芽の萌ゆらむとして降る雪にすはれてゆきし大きみいのち 悼茂吉

こうして見ていると、別離は離れがたいことであったのに違いないのに、対象となる相手は不思議に詠まれていない。

そもそも津田の歌には人は少ない。

そして、悲惨でもあったろう園の様子もない。

ただ、美しい自然が言葉にされて累々と詠われていて、私たちの目に映るのは、その景色だけなのだが、それはそこに暮らす津田自身にもあるいは同じであったのかもしれない。




-アララギ

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