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いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童のまなこ小さし 斎藤茂吉「赤光」

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斎藤茂吉「赤光」から主要な代表歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。

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歌の意味と現代語訳

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童のまなこ小さし

現代語訳


一面に唐辛子の赤く実る畑の道に立っている子供の目は小さい

出典

「赤光」大正元年 12 郊外の半日

歌の語句

まなこ・・・目

表現技法

句切れはない

解釈と鑑賞

ことごとく「西洋近代絵画」の手法と評される一首。
原色の畑に立つ童子の細い目に焦点を集約させる。

塚本は「おそらくは栗鼠を思わす黒く探しげな目(中略)日本でもほぼ同時代の、岸田劉生などの作品に、この歌の「まなこ」に通ずる不思議な視線を見たような気がする」とまで言っている。
なお、この「郊外」の場所は、東京中野の新井薬師辺りだとのこと。

強烈な原色の風景で、以前の根岸派にはなかった感覚である。そして、そこに立っている子どもの目が小さいというのが、さらに鋭い感覚である。唐辛子が一面に赤くなっている畑に立つ童子像は、「まなこ小さし」という一語によって生きている。
この言葉によって童子は背景と融合し、他をもってかえることのできないものになっている。強烈な原色を背景としたために浮きたって見える羞じらい、やさしさのようなものが「まなこ小さし」によって捉えられている。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)


けだものは食(たべ)もの恋ひて啼き居たり何(なに)といふやさしさぞこれは

現代語訳


けものたちは食べ物を欲しいがために鳴いている。なんというやさしさなのだろう、これは。

出典

「赤光」大正元年 14 冬来

歌の語句

啼き居たり・・・鳴いていた
ぞ・・・強意を表す終助詞 強く指示して断定する働き

表現技法

3句切れ 結句は倒置

解釈と鑑賞

狂人の自殺という悲しみの後にやってきた動物園で、動物の無心な姿に心を慰めようとした。死に立ち会った後に見るけものの生の新鮮さ、動物の偽りのない姿を「やさしさ」と取る。
作者は食物に執心が深かったとも言われるが、他にも歌の中で自身を動物に置き換えたものも多い。

動物園に来ると虎とかライオンとかいう獣類が啼いている。それは「食もの恋ひて」啼いているのだと感じ、空腹になれば本能のままにこのように啼くというのは、何と言う率直な愛らしさであろうというのである。
「やさしさぞこれは」と、主観をそのまま端的に強くいったところに人間的な悲哀も動物に寄せる同情もあるが、そういうものをこめて、さしあたり端的にいったのがこの歌の切実な点である。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)

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